2017年02月25日

中国 韓国「逆さ地図から日本を見て【ある事に】気づいた・・・」悲劇の知日家・朴鉄柱氏の目に映った日本

ご無沙汰です!
youtubeで見つけた動画UPしておきます。
真実を語ると、袋叩きにされる韓国社会
「悲劇の知日家・朴鉄柱氏」が語る言葉は日本人に対する敬意と愛にあふれ、胸に染みます。



中国 韓国「逆さ地図から日本を見て【ある事に】気づいた・・・」悲劇の知日家・朴鉄柱氏の目に映った日本 中国が日本の領海を脅かす理由とは?【衝撃】海外の反応

animato

2016/11/11 に公開


逆さ地図を知っていますか?日本海を軸にして上下を引っくり返した地図で、富山県が国土地理院長の承認を得て1995年に製作した「環日本海諸国図」。この逆転地図が「逆さ地図」と呼ばれています。
この地図を見ると、日本が海を国境として他の地域から隔てられた『孤立した島国』であるという日本像が、まったく違って見えてきます。
韓国と中国、それぞれの国から見た「逆さの日本」はどう映るのでしょうか…

内容は動画をご覧ください。

《関連動画》
【衝撃】日本デケェ!世界地図と全然違う『国の本当の大きさ』びっくりwww
https://youtu.be/tOs1yt2MgyA

【衝撃】東日本は重力最強?『世界の重力地図』地球上で重力の高いのは?宇宙の不思議にびっくりwww【海外の反応】
https://youtu.be/_xTc11vOUrY

【衝撃】日本の首都は東京じゃなかった!『日本の首都』の真実に外国人もびっくりwww【海外の反応】
https://youtu.be/PwyPYBPzlYA

米誌「中国よ、すまない…海上自衛隊がアジア最強である理由をここに記そう」日本の自衛隊への評価が凄い!!「日本は眠れる超大国だ」 【海外の反応】
https://youtu.be/74IghFHr9sc

韓国「逆さ地図から日本を見て【ある事に】気づいた・・・」悲劇の知日家・朴鉄柱氏の目に映った日本【衝撃・海外の反応】 大好き日本!【あすか】
https://www.youtube.com/watch?v=CWHPd...

【海外の反応】「この順位・・・日本って凄いな・・・」【日本大好き】
https://www.youtube.com/watch?v=N9eZ_...

引用
http://ameblo.jp/smalldemo/entry-1145...

posted by megamiyama at 04:01| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月04日

節分の日に  日本は鬼(悪者)まで神の使いにしてしまう!?(更新記事)

昨日は節分。「鬼は外、福は内!」と豆撒きをして、恵方巻き(巻きずし)とイワシを食べました。
そして今日は、立春に相応しい暖かい穏やかな日になるようです。

ところで「鬼は外!」で追い払われた鬼さんって、実は誰なんでしょう?

鬼と言えば思い出すのは、鬼が島に鬼退治に行くアノ「桃太郎伝説」。
その発祥の地とされる岡山の、一の宮「吉備津神社」(主神は吉備津彦命)の本殿外陣の東北(艮)隅には、「艮御崎(うらみさき)神」として温羅(おんら うらとも読む)と王丹(おに)の兄弟が祀られているのをご存知ですか?
何せ、弟の名前が「おに」!兄の名前が「うら」!
オモテとウラ。守(カミ)と鬼(オニ)という言葉も、ひょっとしてここから生まれたんだったりして!?

私も一度お参りしたことがある吉備津神社はそれは立派な神社ですが、「鳴釜神事」というちょっと変わった神事が行われることでも有名で、その神事の起源として以下のびっくり伝説”が伝えられています(ウィキから転載します)

吉備国に、温羅(うら)という名の鬼が悪事を働いたため、大和朝廷から派遣されてきた四道将軍の一人、吉備津彦命に首を刎ねられた。首は死んでもうなり声をあげ続け、犬に食わせて骸骨にしてもうなり続け、御釜殿の下に埋葬してもうなり続けた。これに困った吉備津彦命に、ある日温羅が夢に現れ、温羅の妻である阿曽郷の祝の娘である阿曽媛に神饌を炊かしめれば、温羅自身が吉備津彦命の使いとなって、吉凶を告げようと答え、神事が始まったという。

なかなかおどろおどろしい、鬼のしぶとさが伝わってくるような怖い伝説ですが、おカミ(吉備津彦命)に成敗された鬼が、今はカミの使いとなって神示を担っているとは、後腐れがなくてこれぞ日本!ですね。

かくてウラとオニの怖い兄弟たちは「艮御崎(うらみさき)神」として祀られ、平安時代末の『梁塵秘抄』でも「艮みさきは恐ろしや」と詠われていたりもするかなりの有名人なのですが、現代には「鬼」と「裏(占)」という言葉だけが残って?そんな伝説、ほとんど誰も知りません。

ところで日本の心と歴史の復興再生”に日夜骨身を削って(痩せてはおられません…)取り組んでおられる有名ブロガー「ねずさんのひとりごと」のねずさんが「節分の豆まき」の由来について、ご自身の見解を披露されているので紹介させて頂こうと思います。

それによれば「元々の宮廷行事に、室町時代、臨済宗の僧侶が、仏は内、神は外という故事を結びつけて、いまの「鬼は外、福は内」にしてしまった」んだそうですが、「神は外」とはさすがに云えなくて、「ウラの神(=鬼?)は外」になったんでしょうか?

ねずさんは「天つ神」と「国つ神」のうち、天つ神側に制圧された国つ神が「鬼」と呼ばれる存在になったとし、「天つ神のもとに、国つ神がある。このカタチが大事なのです。」と、日本の伝統文化「節分の豆まき」で追い払われる鬼さんも、上位の天津神の下で日本のカミガミとして大切に扱われるべきだというお考えです。
今の日本につながるこれまでの歴史の中で、治世の紆余曲折や攻防戦はあまたあったに違いなく、滅ぼされ闇に葬られた側(鬼や蛇まで含む)までカミとして弔い祀ってきた日本人の懐の深さこそ、注目に値することだと思います。

古代より今に至るまで万世一系の皇室を戴いて来れた日本人特有の資質は、歴史の中に見事に貫かれているようです。今の日本人が過去にさかのぼって歴史を取り戻し、先人に学ぶべきことはキリがない程ありますが、それほど日本人が自分たちの歴史を知らなすぎるということ。
しかしいつの時代も、先人に学び歴史に学びなおす日本人が居る限り、日本は一本の道筋を歩み、未だに成長し続ける稀有の国なのでしょう。(最近「明治維新」の見直しが始まっているようですが、まだまだ結論が出ていないコト、見直されるべき歴史は戦後に限らず山ほどあり、結論ありきの御用学問ではなく自由闊達な面白い議論が出来る時代にやっとなったのかも知れません。)

それにしても、古代からの古い王朝を今も守り続け、しかも一度だけ米に占領されたとはいえ、見事復興を果たし、世界一位二位を争う経済大国となった日本で、平成天皇がお年を召され如何に不如意になられようとも、神官の長たるお立場上、天に身を委ねつとめを全うして頂くことが一番!と思ってしまうのは、いけないことでしょうか?

日本の神々は皆、高天原にいらっしゃることになってますが、中には今だに高天原系の神々の天下統一を良しとせず、反目を続ける裏のカミガミ”がいないとも限りませんので、おカミになり損ねて鬼となった哀しいカミガミをも見捨てることなくお祀りする日本独特の宗教観を天皇自らが体現され耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んで”国民の幸せを祈り続けて下さるのであれば、例えば、靖国神社で成仏できずにさまよっている魂にとって一番の供養になるのはもちろん、ひそかに打倒天皇制を目論む反日サヨクな日本人にとっても、文句など言える筋合いなど一切無くなります。

少なくとも日本国民にとっては、神につながる在りがたい無私の存在”としての天皇を上に戴くことが、高天原の神々も鬼も蛇もすべて!ひっくるめた「日本の統治」にどれだけ役だってきたかは、この皇統の長きにわたる存続が、何よりの証明です。

自然状態で放置すれば、日本人と云えども内輪もめ、身びいき、つぶしあい、足の引っ張り合いなど日常茶飯事ですが、それでは誰も浮かばれない”し恥ずかしい姿”であることを知っているのが日本人だと思いますが、元はと言えば、古来から神仏を崇め、国民の為に祈り、和をもって尊しとなし、誰よりも先んじて「滅私奉公」される天皇というご存在があったことが、やはり大きいのでなないでしょうか?

国を代表するトップに誰が立つか?に、その国の民度が表れると思いますが、戦後日本の民度が落ちたとはいえ、もしまだ保たれている部分があるとしたら、日本を束ねるトップがその時々の首相ではなく、その上に天皇という存在を置き、そのまた上に神仏が居られることを、古来から日本人は信じ敬ってきた歴史があるからでしょう。

戦後民主主義教育の中で、何が尊くて何が恥ずかしいのかを決めるの自分ということにはなってますが、宗教の教えや神仏が分からなくなった日本人に、天皇陛下が神官の長として何をされ、何を祈られているか 少しは国民にも伝わる形になれば、違ってくるのではないでしょうか?

体調がすぐれないのであればなおさら、内輪もめに終始して何も解決しようとしない政(まつりごと)に付き合うのは程々にして(ご本心は、天皇であり続けることを辞めたいのではなく、これ以上政治に付き合うのを辞めたい!のではないでしょうか?)畏れ多いことながら、陛下が為されるべき本当のおつとめをされるために京都にお戻りになられるなり、靖国神社にお詣りされるなり、陛下にしか許されない正当な願いと御意志をこの際明らかにして頂きたいと思ったりします。

このまま「もう疲れました」とおっしゃって、譲(退)位されたのでは、日本も皇室も危うくなる一方です。

ウラの神々も鬼も蛇も…みんなまとめてお祀りし、カミの使いとして頂かねば!
少なくとも、「平成天皇の御意志」が間違っても、天皇という制度を潰したい反日勢力に利用されることがないように願うばかりです。

鬼の話だったのに「生前退位」の話から、書きなおしてたら止まらなくなりました

話を戻してねずさんの「鬼は外、福は内」の記事です。

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3287.html#more

2月3日は節分の日です。
節分(せつぶん)というのは、「立春」の前の日のことを言います。
「立春」は春という字が含まれているために、なんとなく「春がやってくる日」というイメージを持たれる方が多いのですが、実際には「春が立つ」で、この日から気温の底がピークを過ぎて、徐々に春に向かっていく境目を示すことになります。

ちなみに、1〜3月生まれの人が、占いなどで自分は前年の干支なのか、今年の干支なのかと迷ったりすることが多かったりしますが、諸説ありますけれど一般には、節分の日までが前年の干支、立春の日以降が、今年の干支となるようです。

さて、その節分といえば、

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節分のお話
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2月3日は節分の日です。
この日、豆まきが行われますが、そこでは、
「鬼は外、福は内」と言いながら、炒り豆が投げられます。
この炒り豆を投げるという行事は、
鬼神を追放する際に、鬼が、
「いつになったら帰してもらえますか?」
と問うたのに対して、
「この豆に芽が出る頃に帰っておいで」
と言いながら、炒り豆を渡したという故事からきているといわれています。

炒り豆は、芽は出ません。
ですからそれは、「二度と帰ってくるな」という意味であったのだということです。

ところが、実はここで追われた鬼神というのが問題なのです。

もともと節分は、宮中行事であって、季節の変わり目の邪気(鬼)を祓うという祭祀として、古くから行われた行事です。
具体的には、内裏の東西南北の各門に、「土牛童子」と呼ばれる彩色した土で作った牛と童子の人形を飾るという行事でした。
ちなみに、
 陽明門と待賢門には、青色の
 美福門と朱雀門には、赤色の
 郁芳門、皇嘉門、殷富門および達智門には、黄色の
 藻壁門と談天門には、白色の
 安嘉門と偉鑒門には、黒色の
「土牛童子」が立てられました。

ところがこの行事に、室町時代、臨済宗の僧侶が、仏は内、神は外という故事を結びつけて、いまの「鬼は外、福は内」にしてしまったのが、どうやら、豆まきの事始めのようです。
実は、これは巧妙なトラップで、ここで言われる「鬼」が、もともとの「邪気」から、「国つ神」に置き換えられてしまったのです。

我が国には、古来、
 高天原系の「天つ神」と、
 中つ国系の「国つ神」がいます。
天つ神は、慈愛の神々で、シラスを行います。
これに対し国つ神は、そのシラス国の中にあって、個々の秩序維持のためにウシハクを行います。

寛容と厳しさ
慈愛と厳正

この両者は、二つ揃ってはじめて、国の秩序を構築します。
そして、天つ神のもとに国つ神があるという、言い換えれば、シラス国の中にウシハクが内包されるという形が、実はもっとも大切なものとして扱われてきたのです。

この両者は、並立でも駄目ですし、片方だけでもだめですし、ウシハクのもとでシラスを実現することも不可能です。
シラスの中にウシハクを置く。
天つ神のもとに、国つ神がある。
このカタチが大事なのです。

ところが節分は、その室町時代、つまり御皇室の権威を否定して、将軍が支那の冊封のもとに日本国王となるという、異常事態の中にあって、国つ神を追い、それによって天つ神も追うという目的のもとに、もともとあった節分の宮中行事と混同させて「鬼は外、福は内」と炒り豆を投げるようになりました。
さすがに「天つ神」である天皇を否定するわけにいかないから、「国つ神」を鬼として、炒り豆を投げて追い払おうというのです。

寛容だけ、慈愛だけでは、この世は治まりません。
厳しさや厳正が内容されなければならないのです。
つまり「天つ神」と「国つ神」は、本来表裏一体であり、「天つ神」の中に「国つ神」が内包されていなければならないのです。
そして、これが片方だけになり、人々が「国つ神」を追い払うようになれば、この世は混乱します。
案の定、戦国の世が到来しました。

日本的感覚からしたら、本当は、
「福はうち。鬼もうち。悪は外」
なのです。
posted by megamiyama at 06:33| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月01日

「後悔せぬように」「信じる心」

『今神は低き地球の次元をあげ、美しき魂の人間を残されんとす。
高き次元のその世にては、低き魂、歪みし魂は生きられぬ。
なれば魂磨けよ。あの世にても後悔に苦しみうちひしがれぬように』

『自ら神から離るるなかれよ。
神を否定する者に神は手を差し伸べられず。
なれどいたずらに信深すぎて考え偏るもまた問題なり。
何事も過ぎたるは及ばざるが如し。』


http://konohanasakuya.blog.jp/archives/16944655.html
木花咲耶姫様の御神示・神様の警鐘

by天杵万乃(あまきまの) since 2006.1.23.
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信じる心

人の目に見えぬものへの思い様々なり。
全く否定する者、半信半疑の者、憧れ、恐れ、畏敬の念持つ者。
真に神の恵み感じほのかに神を思いて感謝の思いを抱く者。
神が目に見えるならば信ずると言う者あり。
なれど神は目に見えぬもの。
なればこそ人の信ずる心問わるるなり。
神が目に見えぬからこそ、人は見えない力の存在、人に心が存在することを認めらるるものなり。
自ら神から離るるなかれよ。
神を否定する者に神は手を差し伸べられず。
なれどいたずらに信深すぎて考え偏るもまた問題なり。
何事も過ぎたるは及ばざるが如し。
神は人を見守るものなり。なれど間違い多かれば試練与え、気付きを与えんとす。
時には奇蹟を起こすこともありなん。
そも、神の信号、神の奇跡と気づくか、単なる偶然と感ずるかにて道は分かれゆきなん。
神の存在は人には見えぬもの。
見えぬからこそ、心から神を信ずるか否か、はっきりと映し出さるるものなり。


後悔せぬように

あの世というは、行ってはじめてわかるもの。
この世にての生き方、考え方、行動にて、あの世にても それに見合う修業はじまらん。
宇宙の法則は あの世にても働くなれば、何も努力もせず 徳もつまず、奉仕もせずいきたるものは、あの世にて厳しき修業待ち受けると心得よ。
なればこそ 今のこのとき、神の言葉に耳を傾けるべけれ。
今のこの時、神の警鐘に気づくべけれ。
あの世にて初めて気づくもおそかりき。
後悔にうちひしがれるも、逃るることのできぬ世界。
そこにてはたったひとりの苦しき長き修業なり。
そうならぬためには、神仏への感謝と周囲への感謝と奉仕を忘るるべからず。
今神は低き地球の次元をあげ、美しき魂の人間を残されんとす。
高き次元のその世にては、低き魂、歪みし魂は生きられぬ。
なれば魂磨けよ。あの世にても後悔に苦しみうちひしがれぬように。


posted by megamiyama at 12:24| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | r霊性革命 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする