2017年03月19日

日本人にとっての「悪」とは何か (更新)

「ねずさんのひとりごと」を読むとよくわかります。

日本は言霊の国。
アクは元気の良い、力強いの意味にも使われ、必ずしも漢字の「悪」だけではない意味があったりするのが、日本語のおおらかな処ですが、ワルというとワ(和・輪・環)をコワス(壊す)或いはワル(割る)意味になるので、日本語では「ワル」が漢字の「悪」に一番近いということになります。
それにしても漢字は、意味が強烈!
「悪」の恐ろしさがぞっとするほど真摯に伝わってきます。(ねずさんの記事で、「悪」が「生きている心臓が墓の下に置かれている状態」を現わす象形文字「惡」から来ていると初めて知りました!)

漢字の国の激しさ・厳しさが文字からも伺えるようです。(逆に、和を壊すだけで「悪い」とする日本の方が「悪」の基準が厳しいと云えなくもないですが…)

せっかく出来たワ(和)をワル(割る)ことは「ワルイ」という、何とも(漢字に比べて)柔らかなニュアンスの日本の「ワル」がアクの強い”漢字「悪」とドッキングすることで、初めて日本語として強い意味を持つことが出来たのだと分かったような気がします。

今、野党とメディアがよってたかって「森友学園」を生贄に、政権の「悪」を暴こうとしているようですが、彼らこそ、国内外の危機を国民に知らせることもせず、つまらないことで対立を煽り政権を脅かすワル達です。

このまま国民が中国・北朝鮮の人質になってもよいというのでしょうか?
隙あらば日本を生きたまま墓に葬る素振りを見せるヤクザな国とクチウラを合わせ、ワを乱す彼ら反日サヨクこそ、日本の「悪」でなくて何でしょう!?

日本人なら、愚かな彼らの悪の所業”に一刻も早く気づき、目覚めたいものです。

それにしても、日本が外に向かっては「悪い!」といえず、いつまでも日本人同士(アジア同士)で憎しみ合うように仕向けたアメリカこそ、世界きっての「アク」であり「ワル」な気がしますね


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ねずさんのひとりごと

日本は「たみ」が「おほみたから」とされる天皇のシラス(知らす、Shirasu)国です。

日本人にとっての悪とは


20170303 悪源太義平.jpg

悪源太義平

「悪」という字は、旧字では「惡」と書きます。
「惡」は、「亞」+「心」で成り立つ漢字です。
「亞」は、墓室を上から見下ろした象形です。
「心」は生きている心臓です。
つまりこの字は、もともと「墓室の下に生きた心臓がある様子」の象形です。
生きたまま墓室に入れられているのです。
これほどの不幸はない。
だから「悪」です。

支那では、古い昔から漢字が使われていました。
ところが実は、その字の「読み方」は、時代によっても地域によっても様々です。
だから漢字には、呉音・漢音・唐音、宋音・朝鮮音・客家音・上海音・中古音・北京音・慣用音など、様々な読み方があります。
「大」であれば、呉音なら「ダイ」、漢音なら「タイ」、唐音なら「タアア」、客家音なら「ツァイ」、上海音なら「ドュ」、北京音なら「タァ」です。
読み方はバラバラなのです。

読み方がバラバラなのに、どうして漢字が共通文字になたかというと、漢字はもともとが象形文字ですから、言葉が通じなくても、文字で相互の意思の疎通ができたからです。
その漢字によって古い昔に四書五経が書かれ、いわゆる支配階層の人たちはこの四書五経を学びました。
ですから、一語一語の「読み方」が、地域や時代によって異なっていても、文字によって意思の疎通が図れたのです。
これが漢字の特徴です。
漢字は、いってみれば「♂・♀」の記号と同じです。
各国によって「読み方」が違っていても、記号を見れば「男・女」とわかる。

一方、日本語は、一音一音に意味のある言語です。
たとえば「うみ」なら、「う」は迂や宇と同じで、だだっぴろいこと、広大なことを意味する音です。
「み」は「水」です。
ですから、
「う」=広くて広大な
「み」=水
との組み合わせが「海」です。
そうなると淡水をたたえた広くて広大な水を区別しなければならないので、「みずーうみ」という言葉が成り立っています。

つまり日本は、音の組み合わせで言葉に意味を持たせる言語の国でありながら、そこにあとから記号としての文字である漢字を輸入して採り入れたのです。
そしてそのために、日本語に近い意味を持つ漢字に、大和言葉の読みを与えました。
これが訓読みです。

ところがそのために、漢字には漢字が意図していない意味が重ねられるケースが生まれました。
たとえば冒頭の「悪」なら、
 音読み=「アク、オ」です。
 訓読み=「わる、あし、にくむ」です。

日本語の「わる」は、
「わ」が和とか輪のことで、
「る」は放射や拡散を意味します。
日本人はもともと和を大切にする民族ですから、その「わ」が破られることが「わる」だという認識です。

その「わる」が、漢字ならば墓室の中に生き埋めにされてしまう不幸と同じだということで、「わる」という日本語に、「悪」という漢字が当てられました。

ところが現代人の私たちは、まさに「わる」という意味だけで用いますが、古い時代には、たとえば「悪源太義平」というように、悪という字が悪い意味ではなくて、良い意味に用いられることがあります。
この場合の「悪」は、元気の良い、力強い、剽悍なといった意味です。

なぜそうなるかというと、漢字に音読みと訓読みがあるためです。
「悪」の音読みは「アク」ですが、大和言葉で「あく」といえば、「あ」が中心、「く」が集まることですから、様々なものが中心点に集り、そこに力が湧いてくるという、良い意味になります。
つまり元来の日本語の「あく」は、力強いとか、剽悍であるといった良い意味、
漢字の「悪」は、よろしくない意味。
たまたま「あく」と「悪(アク)」は、音(よみ)が同じですから、「悪」が力強いとか、剽悍なといった意味に用いられてしまっているわけです。

日本人は古来、力強くて剽悍なモノやヒトが大好きです。
なぜならそれは「悪(あく)」だからです。

一方日本人は、モノを神様からの授かりものとして大事にします。
ですから、それを「割る→わる→悪」ことは好みません。
なぜならそれは「悪(わる)」だからです。

たとえば最初のうちは、女性でありながら上にいる人達をビシビシと舌鋒鋭く攻撃する美人議員や、同様に政府要人を攻撃的に追い詰める議員さんなどに、多くの日本人は力強さや剽悍さを感じて、「悪(あく)」としてこれを歓迎します。
ところが実際にそういう人が上に立ったとき人々に求められることは、ただ攻撃的なだけであったり剽悍であったりすることではなくて、人々をまとめ、物事を前向きに前進させる力です。
これを「わる」ことは、敬遠されます。
なぜなら日本人にとって、和を「割る」ことは「あしきこと」であり、「にくむ」べきことだからです。

国会を観ていると、民進党や共産党が、ただひたすら対立姿勢だけを全面に押し出して、空虚なパフォーマンスを繰り返しています。
しかし、ほとんどの日本人は、国会での対立など望んでいません。
むしろ、低次元なやり取りが延々と繰り返されている国会を観て、ただ呆れるばかりです。

国民が国会に望んでいるのは、誰もが安心して安全に豊かに暮らせるように、しっかりと国政を取り仕切っていただくことであって、議論のための議論や、アッキーナ事件などという、くだらないレッテル貼りや、何年に原子炉廃絶といった言葉の遊びではないのです。

実は、こうした議会における足の引っ張り合いは、いまに始まったことではありません。
戦前は、もっとひどいものがありました。
議会制民主主義のもとでは、議員にとって最大の関心事は、選挙に受かることです。
もちろん中には、政治家としての信念を貫くことを最大の人生の道と考える政治家(議員)もいます。
そういう議員こそ、まさに大物政治家といえるのですが、ほとんどの議員はそうはいきません。
まずは議員として生き残らなければ、政策も政治もないからです。

戦前は政友会と民政党という二大政党制となっていましたが、このため昭和10年代には日本社会全体が二大政党に別れていて、どこの県にも交番が2つあったのだと、これは倉山満先生から教えていただきました。
交番に、政友会系と民政党系があったのです。
また、当時の鉄道は、政友会系の人が鉄道大臣のときには駅名が全部右書き、民政党系に政権交代すると、それが全部左書きに変えられました。
当時の日本は、国をあげてそんなことばかりやっていたのです。

そしてその対立する議会が、予算の決定権を持っていました。
ですから民政党系の内閣であれば、政友会はその予算案に猛反発します。
予算が決まらなければ予算の執行ができませんから、国会は解散するか、内閣が総辞職するかしかありません。
こうなると、もはや外地で何が起ころうが、選挙に関係なければ議員たちはまったく相手にしなくなります。

昭和12年には、あの通州事件が起きました。
200名を越える日本人が、世界史上稀なる残虐な手口で虐殺されたけれど、政治は何も動かない。
何も動かないから、支那は事態をエスカレートさせ、内地に戻ろうと上海に集結した3万人以上の日本人を、第二の通州事件にしようとして始まったのが、第二次上海事件です。

当時の日本について「軍部の暴走」という人がいますが、軍はどこまでも政治の意思で動きます。
暴走どころか、何もできずに「腰の軍刀は竹光か!」と罵られていたのが、現実の姿でした。
要するに、政党抗争による政治の空白が生まれていたのです。

米国の場合、議会の上に大統領がいます。
大統領という政治的意思決定力を持った親分の下に、上院、下院という左右の組頭がいるわけです。

日本の場合、内閣総理大臣は議会政党の代表者にすぎず、その上にあられる天皇は政治権力を持ちません。
この、日本の伝統的価値観や社会の仕組みに、無理やり西洋の立憲君主制度を模倣し、あてはめようとした結果が、二大政党による政治の空白であり、相次ぐ戦争であったわけです。

日清戦争のときも、清国のあまりの蛮行に、当時の山県有朋内閣は、軍事費を増大させることで内需を刺激するとともに、清国からの脅威を取り除こうとする予算案を計上し、議会によってこれが否決されました。
それによって起こったのが、日清戦争です。

日露戦争のときも同様に、半島の有事に備えるために早々に軍事費の増大を図らなければならなかったものを、議会がこれを潰し、結果、日本は戦争に巻き込まれることになりました。

支那事変は上に述べた通りです。

会社の経営を、社員の人気投票で選んだ執行部が行ったらどうなるのでしょうか。
しかもその執行部が、二大政党となって、互いに足の引っ張り合いしかしないという情況になったら、その会社は一体どうなるのでしょうか。
会社が社員たち全員の運命共同体であり、世界中の企業との激しい競争に常にさらされているのと同様に、国もまた、国民の運命共同体であり、世界の国々との激しい競争にさらされているのです。

そのことに思いをいたすとき、もともとの日本にあった和を大切にするということ。
その和とは、輪であり、輪には必ず中心点があること。
その中心点とは、神々でいえば、天之御中主神であり、また天照大御神であり、国においては天皇であり、これらを国の中心において、まずは国民がまとまっていく。
これをシラスといいます。

そしてそのシラスなかに、太政大臣や将軍などのウシハク統治者を置き、権力者は同時に責任をしっかりともって正邪の識別をしっかりと担って政治にあたるという社会体制を築いてきたのが日本です。
日本人にとって「悪」とは何か。
このことを追求していくと、総理にアッキード事件とレッテルを張ったり、闇雲に「おかしい」とか「あやしい」を連呼するような連中こそが、「悪」であることがわかります。

日本を取り戻すために必要なことは、日本の歴史伝統文化をいちどしっかりと再認識し、その上で、現状の問題点、将来発生しそうな問題点を踏まえて、しっかりとした未来を築いていくということであろうと思います。
単に場当たり的な、「問題だ、問題だ」と対処療法ばかりを議論しても、おそらくは何も変わらない。
むしろ、既存の体制の中での利得者たちから、ただ叩かれるだけで、何も決めることができないということが実際のところであるように思います。

お読みいただき、ありがとうございました。


もうひとつ言霊関係、ねずさんが紹介した記事貼っておきます。ねずさんのFBで見つけました。
https://www.facebook.com/nezu3344
小名木 善行

3月13日 7:29 ・
..
考えさせられるお話です。
これを読むと、「いただきます」の言葉に心がこもるようになります。
そして、
日本は、言霊の国です。


Kaku Sasaki
3月10日 9:38 ・


牛を殺すとき、牛と目が合う。 そのたびに坂本さんは、
「いつかこの仕事をやめよう」と思っていた。

ある日の夕方、牛を荷台に乗せた一台のトラックがやってきた。

「ある日の夕方、牛を荷台に乗せた一台のトラックがやってきた。

「明日の牛か…」と坂本さんは思った。

しかし、いつまで経っても荷台から牛が降りてこない。

不思議に思って覗いてみると、10歳くらいの女の子が、
牛のお腹をさすりながら何か話し掛けている。

その声が聞こえてきた。
「みいちゃん、ごめんねぇ。みいちゃん、ごめんねぇ……」
坂本さんは思った、
(見なきゃよかった)

女の子のおじいちゃんが坂本さんに頭を下げた。

「みいちゃんはこの子と一緒に育てました。  
 だけん、ずっとうちに置いとくつもりでした。  
 ばってん、みいちゃんば売らんと、お正月が来んとです。  
 明日はよろしくお願いします…」
(もうできん。もうこの仕事はやめよう)

と思った坂本さん、明日の仕事を休むことにした。

家に帰ってから、そのことを小学生の息子のしのぶ君に話した。

しのぶ君はじっと聞いていた。

一緒にお風呂に入ったとき、しのぶ君は父親に言った。

「やっぱりお父さんがしてやってよ。
 心の無か人がしたら牛が苦しむけん」

しかし、坂本さんは休むと決めていた。

翌日、学校に行く前に、しのぶ君はもう一度言った。

「お父さん、今日は行かなんよ!(行かないといけないよ)」

坂本さんの心が揺れた。そしてしぶしぶ仕事場へと車を走らせた。

牛舎に入った。坂本さんを見ると、 他の牛と同じようにみいちゃんも角を下げて威嚇するポーズをとった。

「みいちゃん、ごめんよう。  みいちゃんが肉にならんとみんなが困るけん。  ごめんよう」

と言うと、みいちゃんは坂本さんに首をこすり付けてきた。

殺すとき、動いて急所をはずすと牛は苦しむ。 坂本さんが、

「じっとしとけよ、じっとしとけよ」

と言うと、みいちゃんは動かなくなった。

次の瞬間、みいちゃんの目から大きな涙がこぼれ落ちた。

牛の涙を坂本さんは初めて見た。

『いのちをいただく』西日本新聞社より

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『いのちをいただく』のあとがきに、福岡県で助産婦をされて
いる 内田美智子さんはこう書かれています。

「私たちは奪われた命の意味も考えず、毎日肉を食べています。  

 自分で直接手を汚すこともなく、坂本さんのような方々の
 悲しみも苦しみも知らず、肉を食べています。

『いただきます』『ごちそうさま』も言わずにご飯を食べることは  私たちには許されないことです。

 感謝しないで食べるなんて許されないことです。  

 食べ残すなんてもってのほかです…」 ※いっもこのような投稿を読むたびに、人間は罪深い動物だな‼️好き嫌いを無くし食べ物を残さないと思うのだが、昨日も残してしまいました。ごめんなさい。※宜しければ、子供さんにも内容もですが、命の大事さや感謝の気持ちを伝えて下さい。一人でも多くの人が感謝の心を持ち、ありがとうございます。が言える人が増える事を願っております。ありがとうございます。佐々木格

posted by megamiyama at 06:20| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月17日

「和の文化」 「神国日本に戻れよ」

転載します。http://konohanasakuya.blog.jp/

木花咲耶姫様の御神示

by天杵万乃(あまきまの) since 2006.1.23.
8664

2017年03月16日

和の文化

日本は島国なり。
神は世界の要、神出づる国として、日本の島々を作られし。
神はこの日之本、日本が神国として、神と共に歩み世界の要となりては、神に似せし美しき言霊を与えられ、どの国にも冒されぬ国民性を与えられたまいし。
神と交信しえる一番神に近き天皇を長とし、何事も神にお伺い交流しながら、伝統を守りし国なり。
神代の時代のなごりも日本にはまだ少しは残りしものなり。
日本の伝統文化は神と共にあり。
芸能も音楽も祭りも然り。されど現世、和文化から離れゆくなり。
和の伝統に目を向けよ。
和の文化には神の御意図宿るなり。
日本人の日本人たる魂呼び起こすには、和の文化に触れることなり。
和の伝統には神国日本の神の心あるらん。その事忘るるなかれ。

神国日本に戻れよ

人よ、心を合わせよ。
神と共に歩みし古代、神国日本に戻れよ。
魂を浄化し、課せられし修行、一生懸命に行ぜよ。
さすれば道は見えゆくなり。
神と共に歩む者の足許を照らし導くなり。
己の不幸、苦労全て必要なものなり。
苦労ありとて嘆くにはあたわず。
苦労ありてこそ修行なしえるものなり。
わが不幸嘆くにあらず。
どの者も平等に幸、不幸与えられし。
人間の価値は表面にはなき。
魂の浄化、いかに進みゆくかにあり。
posted by megamiyama at 09:48| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月14日

要拡散! 味方すらいない状況下、一人の日本人の発言が世界をアッと言わせた大逆転!

「日本国憲法」で縛られ、主権が侵害されたままの日本にも、一人、連合国機関であるWHOに物申し、理不尽な日本への押し付けや圧力をものの見事にひっくり返してしまった人がいました。
そのサムライの名は、根路銘国昭(ねろめ くにあき)氏。
1993年にアジア初のインフルエンザセンターを日本に設立させた立役者であり、日本国民がアメリカの製薬会社のモルモットにされるのを未然に防いだ大恩人でもありました。

2017/02/08 に公開(転載)
11人vs1人!『日本は敗戦国だから入れない!』WHOは味方すらいない状況下、一人の日本人の発言が世界をアッと言わせた大逆転!政治的圧力、出来レースに屈した日本、最強伝説の全貌


WHOの方針を覆し、国益を守ったのですから「拍手喝采の快挙(お手柄)!」のはずですが、こんな大事なこともWHO側に遠慮して?国民に知らせる(少しは報道したかも知れませんが、大きく取り上げられたことはなかったと思います。)コトも出来ない大手メディアは、外務省官僚同様、国民にとって「役立たず!」の誹りを免れません。

「日本は敗戦国だから口出しするな」と公然と言ってのけるWHO側の方がまだ、正論に耳を傾ける度量があるだけマシ!ではないか?と思えるほど、この国の大手メディアは「権力」に弱すぎます。(世界を牛耳る権力者の顔色を窺いながらソチラの都合に合わせて世論を誘導するなら、ジャーナリストというより反日工作の徒”でしょう。

大手メディアがそうなら、大学も「学問(真実の探求)の自由」がどこまで保障されているか、怪しいものです。(実際、日本国民が生ワクチンのモルモットにされかかっても、根路銘氏と一緒に出席した日本の学者たちは誰ひとり何も言えなかったようですから、「推して知るべし」であります。)

ただ、それにしても、たった一人根路銘氏がその時そこまで言えたのは、それまで日本側がアジアにおけるインフルエンザの患者のデータを積み重ねてきた実績があってこそであり、日本がそのデータを提供しなければ、アジアのワクチン対策が出来ないほどの貢献をそれまでしてきたからこそですから、根路銘氏一人で勝ち取った快挙というより、やはり日本という国が「なくてはならない国」であるということをWHOに認めさせたことが「快挙」でした。

そして、どんなに能力を高く買われていたとしても、黙っていては利用されるだけ!という国際社会の実態を思い知らされた「事件」でもあったと思います。
しかも「1993年の日本の快挙」を今頃知っても、時すでに遅しの感さえあります。

その時日本は、根路銘氏の頑張りで生ワクチンの人体実験をかろうじて免れましたが、その後「子宮頸がんワクチン」の人体実験は実行されてしまいましたから、厚生省が連合国側製薬会社の意のままに操られているのは明らかなのでしょう。
第二、第三の根路銘氏が各界に出現しなくては、今後も日本はやられっぱなしになるのでしょう。(薬害どころか、3.11大震災さえアメリカに仕掛けられた人工地震という説アリ)

ところで、根路銘氏のように一人になっても「云うべきことが云える」ためには、サムライ魂が必要不可欠ですが、何より自分の持ち場”で努力し積み上げてきた「実績」が「モノを云った」のも確か。
何事も一朝一夕では成らない!のでした。

改めて、自分の「実績」の貧しさに呆然としながらも、自分で自分を叱咤激励していくしかないのでした。

日本と世界の為に第一線で戦っているサムライは根路銘氏一人ではないにしても、例えば自衛隊員達の現地での仕事ぶりさえ報道しない日本で、私たち日本人が国際社会でどんな理不尽な目にあっているのか?それでもなお日本人がどんなに世界に貢献をしているか?について、このままほとんど知らないままで終わるなら、、日本国民がサムライ精神を取り戻すなんて夢の又夢!
みせかけの自由民主主義とみせかけの平和主義に眠らされ、いつまでも「外国の為の平和憲法」に縛られ、いつまでも戦勝国側の国連やWHOの支配下に置かれている日本を目覚めさせる為に、せっかくのネット時代、利用しない手はないですね。

一人一人が日々の発見や考えをブログで発信したり、ツイッターしたり、FBやSNSで情報を共有し自由に繋がって、知識や意識を高めていく(人間の本質は光であり、本来神の子なので、真・善・美と智慧を求めるのが自然。)のは、人間を狭い枠にはめて支配下に置いておきたい悪魔的支配者達にとって一番マズイことなので、あらゆる手を使って、人間を貶め、絆を分断(往々にして宗教や思想・信条が使われる!)し、争わせようとするのが、悪魔のやり口だと思います。(欲望を煽り、堕落する方向に人間を誘惑し、自分達と同じ闇の仲間を増やそうとするのが悪魔。)

ただ「この世」は相手の理不尽さを見抜いて指摘するだけで、根路銘氏のように不当な圧力や押し付けをはねのけ道を開くことができる世界でもあるので、そのためにも先ず、善悪を見抜く力と天に恥じない自分作りの必要性を痛感する今日この頃でした。

頑張れ、日本!
頑張れ、私!

最近、又更新が…
ブログにアップしたい事はまだまだたくさんあるのです(日々、下書きばかり溜まっていきます!)が、時間が足りない!!!




posted by megamiyama at 09:39| 兵庫 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする