2014年12月15日

ぽえむん 「護」 追記

(13日の未公開記事ですが、15日の穴埋めの為、UPしておきます


幾つもの世で

護りたかった思いと

護れなかった悲しみが

雪のように降り積もる


以上、『ぽえむん「護」』http://amamikyo.amamin.jp/e485194.html  抜粋。

これを読み、嫌われようが無視されようが大事なことを大事な人達に伝え得なかった自分の弱さが、悲しみとなって幾転生も降り積もってきたことに、ハタと思い至りました。

性懲りもなく、今世も「残念でした」を繰り返すつもりなのかと自分の胸に問いつつも、自分に出来ることの小ささが、やはりあまりにも悲しい。

とはいえ、日本は桜吹雪が似合う国。

「潔く、散って降り積もる…」ものが例え悲しみだけ だとしても、その散り際の美しさを観れば、自分もそのひとひらになれたら本望ではあります。

正しい者が嗤われることのない、“美しい国”をもういちど取り戻すために。

国を守るために命を捧げた誇り高き日本人を祀ることすら躊躇する、今の政治家やそれを当然とする日本人には、当時の若者の“護国の思い”を想像することすら出来ませんが、だからこそ、今「日本」を取り戻さないと間に会いません!

“花散り里”の美しさは、永遠デス!

posted by megamiyama at 11:13| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月10日

「なぜ、幸福の科学大学は「不認可」になったのか」に頂いた質問

コメントのコーナー(Comment(14))が長くなったので、こちらに移動します。

“やきぶた”さんと、“余計なことかもしれません”さんから頂いた昨日のコメントに、出来る限りお答えしたいのですが、管理人一人の手に負えない…というか、勝手に答えてよいかどうかもわからないご質問もありますので、ご来訪の皆様のお知恵拝借できればありがたいです。

先ずは、昨日頂いたコメント二つ、転載させて頂きます。

megamiyama様、おはようございます。
さすがに長くなってしまいましたので、確認させてください。
・やはりHSUのカリキュラム上“霊言”は重要で中心におくべきもの、という認識でよろしいのでしょうか?
・シラバスにはあえて“霊言”を組み込まず、大学内ないし付設の研究機関で“霊言”を研究し発表していくという道はなかったのでしょうか?
・「最初っから「認可」するつもりがなかった審議会」と表現されていますが、HSやHSU側では事前にそのように予見されていたのでしょうか?それとも“裏切られた”のでしょうか?
・HS内で大川総裁以外に“霊言”は降ろせるものでしょうか?
・学習すれば誰でも“霊言”を降ろせるようになるのでしょうか?
・また、学習することによって“霊言”の内容の真贋を見極められるようになるのでしょうか?

「古い価値観に対して一歩も引かず闘う」のも大切でしょうが、大学の真価は設立時点で決まるわけではないでしょうし、大学自体が作れなかったのでは闘う以前の話ではないでしょうか?少なくとも、開学を期待し真剣に準備していた若人(HSの今後を担う人たちも!)や、支援してきた人たちがいるわけですから、大川総裁は真剣に謝罪すべきでしょう。

                           Posted by やきぶた at 2014年11月09日 10:37


大学設置・学校法人審議会から出された是正意見は、40項目もあったそうですが、全項目を公開しているのでしょうか。不認可の理由は文科省のHPで公開しているのですが、その前に出された是正意見は見つけられませんでした。学部名、教義の疑義、学長の件以外の項目も確認したいのですが。もしご存じでしたら教えてください。
                   Posted by 余計なことかもしれませんが at 2014年11月09日 16:26

管理人の返信もここに書きます。

やきぶたさん、ICU(幸福の科学大学)に深い関心を持って頂き、有り難いです。

転載したリバティの記事※にもありますが、「霊言」は、大学の全カリキュラムの中のたった一コマ(4単位)です。しかし、文科省に「学問的価値が認められない」と最後に云われて、ICU側が唯一“飲めなかった“是正意見”となりました。
(学部名や学長の人選や一部講義内容に対する疑問や問題点の指摘はあったようですが、「霊言」という教科に対する疑義や是正意見は、それまで一度も出ていなかったと聞いています。)

※ 学校法人幸福の科学学園はこれまで、既存の学問体系に則った内容で大学の授業計画を構成・申請してきた。霊言を一部参考にした授業としては、私学の特色として当然認められるべき範囲で「建学の精神」を学ぶ科目が、1年生の前期と後期で1科目ずつ置かれているが、人間幸福学部、経営成功学部の文系2学部で、卒業に必要な124単位中4単位であり、理系学部の未来産業学部では132単位中4単位と、ごく一部である。 (リバティ http://the-liberty.com/article.php?item_id=8660

次の質問
>・シラバスにはあえて“霊言”を組み込まず、大学内ないし付設の研究機関で“霊言”を研究し発表していくという道はなかったのでしょうか?
は、この世的に考えれば、いくらでも道はあります。しかし、それをしないのが大川総裁なのです。
「幸福の科学」という宗教団体が、これからの時代の新しい学問をつくろうとして「大学の設置」に挑戦する以上、これまで収録された(そしてこれから収録されるであろう)古今東西の神々やおびただしい有名無名の霊人達の「霊言の学問的価値を認めない」という文科省が判断したからといって、飲むワケにはいかないのは勿論、「認めないのは間違っている」と認めさせるまで、引かないということです。
勝負を挑んでいるのはコチラなのです。
仏教学では仏典、キリスト教学では聖書、が研究の対象であるように、大川総裁ご自身が語られた言葉はもちろん、「霊言」もまた、学問的な検証に値する「重要な一分野」であって、「霊言」には(研究する)無限の価値があるからです。人間一人ひとりが持っている無限の価値を信じることと、「霊言」つまり霊人達の価値を信じることは、全く同じです。(少なくとも管理人には)
「霊言」はほとんどすべて本になって公開されているので、すでに「あの世」の啓蒙に広く役だっているとは思いますが、あまりに膨大な量になってきたのでそろそろ専門の研究者が出てきても良い頃です。

>「最初っから「認可」するつもりがなかった審議会」

と書いてしまいましたが、申し訳ありません。これはちょっと訂正が必要です。
「不認可」が発表された直後、収録され、二日後に発刊された「大学設置審議会 インサイドレポート」によれば、桜美林大学の学長の守護霊さんは「上の判断でどうにでもなる。」「大学設立をあきらめさせようとこちらが出した“是正意見”を悉く打ち返してきたので、認可せざるを得ない気持ちにはなっていた」みたいなことを正直に?云ってましたし、下村文部大臣も気持ちが揺れ動いていたようです。最終的には安倍政権としての政治判断が働いたというのが真相らしいですから、(すべて霊言をもとにした推測でしかありませんが、納得はできます。)審議会が「ICU設置」に関してあまり好意的ではなかったのは本当だとしても、様々な情勢の変化はあったようです。
なので
>HSやHSU側では事前にそのように予見
…していたわけではありません。しかし、正直に言えば、「絶対、認可してもらわないと困る!」と思いつつも、ホントに「認可」してもらえるかな?という不安はずっとありました。
下村さんの霊言の「第一弾」は、割合早い段階で録られたので、その時に心底がっかりしましたが、“裏切られた思い”は、最終的に「不認可」の判断を下した(と思われる)安倍政権に対して持っています。

>HS内で大川総裁以外に“霊言”は降ろせるものでしょうか?
降ろせます。
先日も、下村大臣の霊(この人スグ来るみたいなんです)を入れ替わり立ち替わり六人のチャネラーに降ろしす公開実験をしましたよ。
HSの公開霊言は、すべて大川総裁立ち会いのもとで行われますが、降ろせる人はまだそんなに多くはありません。
人間はそもそも霊ですから、死ねば霊になるしかないので、波長導通の法則で近寄って来る低級霊が実はウヨウヨいるのが「この世」。心がきれいになって霊道が開くのはよいことですが、心境が落ちるとすぐに悪霊にやられてしまうので、
>学習すれば誰でも“霊言”を降ろせるようになる…
等と考えるのは、危険かも知れません。
大川総裁お墨付きのHSのチャネラーさんでさえ、悪霊を降ろすとソノ後しばらくタイヘンらしいです。
よく、飲むと人が変わったようになる と言う人がいますが、アレは本当に“人が変わっている”んですよ。あれも「霊言」といえなくもないです。
「自分」を失って(乗っ取られて)“霊言”してしまうのは、一番コワイことです。
神様がなかなか降りてこられないのは、人間の心境がそこまで精妙ではないからです。
だからこそ、神様の言葉を降ろせるひとは大事に守らなければイケナイのです。

>また、学習することによって“霊言”の内容の真贋を見極められるようになるのでしょうか?
それは、そうだと思います。だって何が真実か?何がウソ?を見極めるために学習(学問)するんですもんね(笑)
そして、「真実」や「善」や「美」がわかってこその「人間」であることを、霊人達は皆口々にそれぞれの言葉で語ってくれます。
人を成長させる言葉と堕落させる言葉の見分けは、誰でも出来るようになるというか、実は、皆本当はわかっているのじゃないでしょうか?(只、悪霊ほど自分は神だと云いたがるので、そういう悪霊と導通してしまう慢心や奢りが自分の中にあれば、分からなくなるコワイ世界でもあります。)
一生“見極めるための学習”デスね。

以上、管理人の個人的な見解ですが、(そもそもブログは全部個人的な見解ではアリマス…)質問にお答えしました。
最後の
>「古い価値観に対して一歩も引かず闘う」のも大切でしょうが、大学の真価は設立時点で決まるわけではないでしょうし、大学自体が作れなかったのでは闘う以前の話ではないでしょうか?少なくとも、開学を期待し真剣に準備していた若人(HSの今後を担う人たちも!)や、支援してきた人たちがいるわけですから、大川総裁は真剣に謝罪すべきでしょう

に関しては、全く同感できません。
大学設立の為にこれ以上ない目を見張るばかりの尽力をされた大川総裁と入学を待ちわびる受験生たちに、謝罪しなければならないのは、「幸福の科学大学」担当職員と、幸福の科学大学の設立を総裁まかせにしてしまっていた、管理人のような心弱き信者です。そして、「幸福の科学大学」ののぼりを立て、一人「新しき学問の自由」の為に闘おうとしているというのに、応援するどころか、文科省の判断をまっとうだとする国民やマスコミこそ、間違っている!と思います。
「自由」の為の戦いが今始まったんです。
見ていて下さい。
できれば、ご支援の程よろしくお願い申し上げます。

以上。

尚、“余計なことかもしれませんが”さんの質問
「大学設置・学校法人審議会から出された是正意見は、40項目もあったそうですが、全項目を公開しているのでしょうか。不認可の理由は文科省のHPで公開しているのですが、その前に出された是正意見は見つけられませんでした。学部名、教義の疑義、学長の件以外の項目も確認したいのですが。もしご存じでしたら教えてください。」
については、管理人も調べないと分かりません。
どなたかご存じの方、おられましたら、是非、教えて頂きたいのですが…
宜しくお願い申し上げます。
posted by megamiyama at 06:03| 兵庫 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月22日

人が「往生際」に求めるものとは?

臨死体験、死後の世界、神…と来て、今朝たまたま、リバティの「笑って死ねる「往生際」という記事(2006年3月)見つけた(パソコン開けたら勝手に出て来てきました〜)のでUPしておきます。(一部有料記事を含む)

笑って死ねる「往生際」.jpg
2006年5月号記事

尊厳死問題から考える

笑って死ねる「往生際」


尊厳死を巡る議論がにわかに活気づいている。
安らかな死を求めてさまざまな立場の考え方が入り乱れているが、人間にとって望ましい往生際とは何なのだろうか。

人が「往生際」に求めるものとは?
…死を目前に控えた本人は、どうすればいいのか。「大往生」という言葉が示すように、人はだれでも満ち足りた死を願うものだ。
NPO法人「日本デスカウンセリング協会」の小林幹児会長は、「患者が欲しがっているのは“心”だ」と言う。

「死についての教育や情報をなかなか得られない現代では、余命宣告された患者などは自分一人で死と向き合わなければなりません。家族も、そんな患者との接し方が分からない。
そこで、延命拒否をした人などの心のケアをするデスカウンセラー(注5)は、心理学の回想療法を応用した独自の質問表を使い、患者の心がほぐされ自分を肯定できるようにインタビューをしていきます。過去を振り返りながら、自分に対して『YES』を言えるようになると、人は死を受容できるようになるのです。

これは、私がたくさんの死にゆく人々と話をしてきた中で、死を受容できる人は人生をポジティブにとらえ、できない人はネガティブにとらえていたという共通項があった経験に裏打ちされています。死を受容した人は、死後硬直が少ないのも特徴。死んでも体が柔らかい大往生は、うらやましい限りです」


posted by megamiyama at 08:41| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする