2014年11月10日

「なぜ、幸福の科学大学は「不認可」になったのか」に頂いた質問

コメントのコーナー(Comment(14))が長くなったので、こちらに移動します。

“やきぶた”さんと、“余計なことかもしれません”さんから頂いた昨日のコメントに、出来る限りお答えしたいのですが、管理人一人の手に負えない…というか、勝手に答えてよいかどうかもわからないご質問もありますので、ご来訪の皆様のお知恵拝借できればありがたいです。

先ずは、昨日頂いたコメント二つ、転載させて頂きます。

megamiyama様、おはようございます。
さすがに長くなってしまいましたので、確認させてください。
・やはりHSUのカリキュラム上“霊言”は重要で中心におくべきもの、という認識でよろしいのでしょうか?
・シラバスにはあえて“霊言”を組み込まず、大学内ないし付設の研究機関で“霊言”を研究し発表していくという道はなかったのでしょうか?
・「最初っから「認可」するつもりがなかった審議会」と表現されていますが、HSやHSU側では事前にそのように予見されていたのでしょうか?それとも“裏切られた”のでしょうか?
・HS内で大川総裁以外に“霊言”は降ろせるものでしょうか?
・学習すれば誰でも“霊言”を降ろせるようになるのでしょうか?
・また、学習することによって“霊言”の内容の真贋を見極められるようになるのでしょうか?

「古い価値観に対して一歩も引かず闘う」のも大切でしょうが、大学の真価は設立時点で決まるわけではないでしょうし、大学自体が作れなかったのでは闘う以前の話ではないでしょうか?少なくとも、開学を期待し真剣に準備していた若人(HSの今後を担う人たちも!)や、支援してきた人たちがいるわけですから、大川総裁は真剣に謝罪すべきでしょう。

                           Posted by やきぶた at 2014年11月09日 10:37


大学設置・学校法人審議会から出された是正意見は、40項目もあったそうですが、全項目を公開しているのでしょうか。不認可の理由は文科省のHPで公開しているのですが、その前に出された是正意見は見つけられませんでした。学部名、教義の疑義、学長の件以外の項目も確認したいのですが。もしご存じでしたら教えてください。
                   Posted by 余計なことかもしれませんが at 2014年11月09日 16:26

管理人の返信もここに書きます。

やきぶたさん、ICU(幸福の科学大学)に深い関心を持って頂き、有り難いです。

転載したリバティの記事※にもありますが、「霊言」は、大学の全カリキュラムの中のたった一コマ(4単位)です。しかし、文科省に「学問的価値が認められない」と最後に云われて、ICU側が唯一“飲めなかった“是正意見”となりました。
(学部名や学長の人選や一部講義内容に対する疑問や問題点の指摘はあったようですが、「霊言」という教科に対する疑義や是正意見は、それまで一度も出ていなかったと聞いています。)

※ 学校法人幸福の科学学園はこれまで、既存の学問体系に則った内容で大学の授業計画を構成・申請してきた。霊言を一部参考にした授業としては、私学の特色として当然認められるべき範囲で「建学の精神」を学ぶ科目が、1年生の前期と後期で1科目ずつ置かれているが、人間幸福学部、経営成功学部の文系2学部で、卒業に必要な124単位中4単位であり、理系学部の未来産業学部では132単位中4単位と、ごく一部である。 (リバティ http://the-liberty.com/article.php?item_id=8660

次の質問
>・シラバスにはあえて“霊言”を組み込まず、大学内ないし付設の研究機関で“霊言”を研究し発表していくという道はなかったのでしょうか?
は、この世的に考えれば、いくらでも道はあります。しかし、それをしないのが大川総裁なのです。
「幸福の科学」という宗教団体が、これからの時代の新しい学問をつくろうとして「大学の設置」に挑戦する以上、これまで収録された(そしてこれから収録されるであろう)古今東西の神々やおびただしい有名無名の霊人達の「霊言の学問的価値を認めない」という文科省が判断したからといって、飲むワケにはいかないのは勿論、「認めないのは間違っている」と認めさせるまで、引かないということです。
勝負を挑んでいるのはコチラなのです。
仏教学では仏典、キリスト教学では聖書、が研究の対象であるように、大川総裁ご自身が語られた言葉はもちろん、「霊言」もまた、学問的な検証に値する「重要な一分野」であって、「霊言」には(研究する)無限の価値があるからです。人間一人ひとりが持っている無限の価値を信じることと、「霊言」つまり霊人達の価値を信じることは、全く同じです。(少なくとも管理人には)
「霊言」はほとんどすべて本になって公開されているので、すでに「あの世」の啓蒙に広く役だっているとは思いますが、あまりに膨大な量になってきたのでそろそろ専門の研究者が出てきても良い頃です。

>「最初っから「認可」するつもりがなかった審議会」

と書いてしまいましたが、申し訳ありません。これはちょっと訂正が必要です。
「不認可」が発表された直後、収録され、二日後に発刊された「大学設置審議会 インサイドレポート」によれば、桜美林大学の学長の守護霊さんは「上の判断でどうにでもなる。」「大学設立をあきらめさせようとこちらが出した“是正意見”を悉く打ち返してきたので、認可せざるを得ない気持ちにはなっていた」みたいなことを正直に?云ってましたし、下村文部大臣も気持ちが揺れ動いていたようです。最終的には安倍政権としての政治判断が働いたというのが真相らしいですから、(すべて霊言をもとにした推測でしかありませんが、納得はできます。)審議会が「ICU設置」に関してあまり好意的ではなかったのは本当だとしても、様々な情勢の変化はあったようです。
なので
>HSやHSU側では事前にそのように予見
…していたわけではありません。しかし、正直に言えば、「絶対、認可してもらわないと困る!」と思いつつも、ホントに「認可」してもらえるかな?という不安はずっとありました。
下村さんの霊言の「第一弾」は、割合早い段階で録られたので、その時に心底がっかりしましたが、“裏切られた思い”は、最終的に「不認可」の判断を下した(と思われる)安倍政権に対して持っています。

>HS内で大川総裁以外に“霊言”は降ろせるものでしょうか?
降ろせます。
先日も、下村大臣の霊(この人スグ来るみたいなんです)を入れ替わり立ち替わり六人のチャネラーに降ろしす公開実験をしましたよ。
HSの公開霊言は、すべて大川総裁立ち会いのもとで行われますが、降ろせる人はまだそんなに多くはありません。
人間はそもそも霊ですから、死ねば霊になるしかないので、波長導通の法則で近寄って来る低級霊が実はウヨウヨいるのが「この世」。心がきれいになって霊道が開くのはよいことですが、心境が落ちるとすぐに悪霊にやられてしまうので、
>学習すれば誰でも“霊言”を降ろせるようになる…
等と考えるのは、危険かも知れません。
大川総裁お墨付きのHSのチャネラーさんでさえ、悪霊を降ろすとソノ後しばらくタイヘンらしいです。
よく、飲むと人が変わったようになる と言う人がいますが、アレは本当に“人が変わっている”んですよ。あれも「霊言」といえなくもないです。
「自分」を失って(乗っ取られて)“霊言”してしまうのは、一番コワイことです。
神様がなかなか降りてこられないのは、人間の心境がそこまで精妙ではないからです。
だからこそ、神様の言葉を降ろせるひとは大事に守らなければイケナイのです。

>また、学習することによって“霊言”の内容の真贋を見極められるようになるのでしょうか?
それは、そうだと思います。だって何が真実か?何がウソ?を見極めるために学習(学問)するんですもんね(笑)
そして、「真実」や「善」や「美」がわかってこその「人間」であることを、霊人達は皆口々にそれぞれの言葉で語ってくれます。
人を成長させる言葉と堕落させる言葉の見分けは、誰でも出来るようになるというか、実は、皆本当はわかっているのじゃないでしょうか?(只、悪霊ほど自分は神だと云いたがるので、そういう悪霊と導通してしまう慢心や奢りが自分の中にあれば、分からなくなるコワイ世界でもあります。)
一生“見極めるための学習”デスね。

以上、管理人の個人的な見解ですが、(そもそもブログは全部個人的な見解ではアリマス…)質問にお答えしました。
最後の
>「古い価値観に対して一歩も引かず闘う」のも大切でしょうが、大学の真価は設立時点で決まるわけではないでしょうし、大学自体が作れなかったのでは闘う以前の話ではないでしょうか?少なくとも、開学を期待し真剣に準備していた若人(HSの今後を担う人たちも!)や、支援してきた人たちがいるわけですから、大川総裁は真剣に謝罪すべきでしょう

に関しては、全く同感できません。
大学設立の為にこれ以上ない目を見張るばかりの尽力をされた大川総裁と入学を待ちわびる受験生たちに、謝罪しなければならないのは、「幸福の科学大学」担当職員と、幸福の科学大学の設立を総裁まかせにしてしまっていた、管理人のような心弱き信者です。そして、「幸福の科学大学」ののぼりを立て、一人「新しき学問の自由」の為に闘おうとしているというのに、応援するどころか、文科省の判断をまっとうだとする国民やマスコミこそ、間違っている!と思います。
「自由」の為の戦いが今始まったんです。
見ていて下さい。
できれば、ご支援の程よろしくお願い申し上げます。

以上。

尚、“余計なことかもしれませんが”さんの質問
「大学設置・学校法人審議会から出された是正意見は、40項目もあったそうですが、全項目を公開しているのでしょうか。不認可の理由は文科省のHPで公開しているのですが、その前に出された是正意見は見つけられませんでした。学部名、教義の疑義、学長の件以外の項目も確認したいのですが。もしご存じでしたら教えてください。」
については、管理人も調べないと分かりません。
どなたかご存じの方、おられましたら、是非、教えて頂きたいのですが…
宜しくお願い申し上げます。
posted by megamiyama at 06:03| 兵庫 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月22日

人が「往生際」に求めるものとは?

臨死体験、死後の世界、神…と来て、今朝たまたま、リバティの「笑って死ねる「往生際」という記事(2006年3月)見つけた(パソコン開けたら勝手に出て来てきました〜)のでUPしておきます。(一部有料記事を含む)

笑って死ねる「往生際」.jpg
2006年5月号記事

尊厳死問題から考える

笑って死ねる「往生際」


尊厳死を巡る議論がにわかに活気づいている。
安らかな死を求めてさまざまな立場の考え方が入り乱れているが、人間にとって望ましい往生際とは何なのだろうか。

人が「往生際」に求めるものとは?
…死を目前に控えた本人は、どうすればいいのか。「大往生」という言葉が示すように、人はだれでも満ち足りた死を願うものだ。
NPO法人「日本デスカウンセリング協会」の小林幹児会長は、「患者が欲しがっているのは“心”だ」と言う。

「死についての教育や情報をなかなか得られない現代では、余命宣告された患者などは自分一人で死と向き合わなければなりません。家族も、そんな患者との接し方が分からない。
そこで、延命拒否をした人などの心のケアをするデスカウンセラー(注5)は、心理学の回想療法を応用した独自の質問表を使い、患者の心がほぐされ自分を肯定できるようにインタビューをしていきます。過去を振り返りながら、自分に対して『YES』を言えるようになると、人は死を受容できるようになるのです。

これは、私がたくさんの死にゆく人々と話をしてきた中で、死を受容できる人は人生をポジティブにとらえ、できない人はネガティブにとらえていたという共通項があった経験に裏打ちされています。死を受容した人は、死後硬直が少ないのも特徴。死んでも体が柔らかい大往生は、うらやましい限りです」


posted by megamiyama at 08:41| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月15日

臨死体験の情報を集めても信仰に辿りつけないのはなぜか  立花隆の「霊言」

先日妹を乗せて実家に帰る車の中で、たまたま子供の頃の記憶やその頃考えたことなどの話になったのですが…
(以前ブログには書いたことがありますが)私が「10才の頃、突然ハタと「神様は宇宙人にちがいない。」とひらめいて、自分で自分の「凄い発見」に驚いていたら、図書室にあった雑誌(「ムー」かな)にそんな話がいくらでも載っていて「なんだ、もうみんな知って居るのか」と思ってがっかりした」話やら「自分が見ている世界の外はどうなっているのか?ひょっとして(この世界には)自分しかいないんじゃないのか?とか思ったことがある」などという話をしたら、妹は、「私は、ある日「全部、考えなんや。自分が考えているだけの世界やから、神様もいないんや」って思った。」という話を披露(笑)してくれました。
妹はどちらかというと「あの世も霊もあると思うけど、世界に“意味”なんてない」と考えているタイプですが、子供の頃から、すでに考える方向がビミョウにズレているのがわかっておもしろかったです。
二人とも「“我思う故に我あり”って子供の時に気がついたよね。あたりまえ過ぎて誰もいわないだけだよね」と云う点では一致しました(笑)

子供の方がヘタな知識がない分、色々オリジナルに(笑)考えていると経験上からも思います。(子供時代の方がよっぽど“哲学していた”かもしれません。しかも、そういった“考え”は、“自分だけの考え”だとわかっているので、ヘタに人に云うと恥ずかしいので決して誰にも言いません。哲学者は人に言える処まで考え抜いた人でしょうね。)

立派な大人の、しかも博識な学者のはずの立花隆さんが、ご自分の「存在」についていつまでたっても確信が持てず、目の前に迫る「死」(NHKの番組のなかでも云ってましたが、彼が確信しているのは、いつか自分が死ぬということだけらしい。自分には「肉体(脳)とその死」しかないと思っているのでしょう。彼にとって「自分(私)」とは脳がつくった幻影にすぎないらしい。)だけを信じて不安におののいているのは、霊魂(つまり「私」)の存在を信じる側からみれば、“恥ずかしい話”ですが、面と向かってそれを云うのは気の毒だと思って誰も云わないのです。(“素人”が何を言っても学者は聞く耳をもたないでしょうね。だからこそ、大川総裁がおびただしい「霊言」によって“「あの世」の証明”に取り組んでおられますが、頭の固い「唯物(唯脳)論者」の学者センセイの孤独は、なかなか度し難いようです。知識が増えれば増えるほど人間は孤独になっていくように見えます。)

「臨死体験」の研究はもちろん、自分でもそれを体験(霊言)までしているというのに、「自分という意識(つまり、肉体を離れた「私」)が在ること」に気がつかないのは何故なのか、単純に「あの世」を信じる人間からすれば、理解に苦しみますが、ひょっとして、彼の頭脳に蓄えられた知識が、結局彼の人生には何の役にも立たなかったという証明をすることが、彼のお役目なんでしょうか?(失礼!?)

この世で賢いと云われるひとより、その辺の子供の方がよっぽど“ワカッテ”いるのじゃないかと思ったり…。イエス・キリストが「天国は幼子のようでなければ、入れない」と云ったのは、“ヘタな知識”ならない方がマシということだと確信したり…します。

立花氏は、大川総裁による「霊言」を、自分で突撃取材?してみて、「総裁は、超能力を使って、私の脳から発信されている電磁波のようなものをキャッチしている」と、(霊言の中で)自分なりに分析してみせましたが、総裁の超能力も“(心が)見えない電磁波のようなもの”であることも、どうやらわかっているのに、電磁波の発信源が「脳」ではなく、「自分(私)」であることにはどうしても気づかない不思議な(馬鹿といっては失礼なので云いませんが…)守護霊(電磁波のようなもの?)さんなのでした。

妹との“よもやま話”から「立花隆の霊言」を思い出したので、ちょっと前のリバティの記事ですが、紹介(再掲?)します。


2014.09.29

2014年11月号記事
公開霊言抜粋レポート

臨死体験の情報を集めても信仰に辿りつけないのはなぜか
「『本当に心は脳の作用か?』 ─臨死体験と死後の世界の間で─(立花隆の守護霊霊言)」

9月18日 幸福の科学教祖殿大悟館

「霊言現象」とは、あの世の霊存在の言葉を語り下ろす現象のこと。これは高度な悟りを開いた者に特有のものであり、「霊媒現象」(トランス状態になって意識を失い、霊が一方的にしゃべる現象)とは異なる。また、外国人の霊の霊言には、霊言現象を行う者の言語中枢から、必要な言葉を選び出し、日本語で語ることも可能である。 詳しくは⇒⇒⇒大川隆法のスーパー霊能力 「霊言」とは何か


 10万冊を超える蔵書を持ち、生と死の問題に深い関心を寄せて、著書『臨死体験』では数多くの臨死体験を紹介している立花隆氏。9月には、臨死体験を扱ったNHK番組に出演したが、その内容は「心は脳にあり、死ねば心はなくなる」という結論ありきのものだった。
 大川総裁は立花氏の守護霊を呼び出し、あの世や霊の存在についてどのように捉えているのか、その本心を聞いた。

唯脳論を揺さぶる霊言

 招霊に先立って、大川総裁は、ダーウィンの進化論やマルクスの唯物論が医学に入り込み、心や魂を脳の作用で説明しようとする唯脳論になっていること、霊言はこうした唯脳論に揺さぶりを与えていることを指摘。立花氏も、心を脳の機能と捉えているのではないかと推察した。
 呼び出された立花氏守護霊は、自分が霊であることの自覚がなく、「守護霊の存在はまだ定義されていない」「私は立花隆(本人)ですよ」と、霊存在ではないと繰り返し主張した。
 また、宇宙飛行士が神秘体験をしたり、臨死体験をして神を信じるようになることは否定しないとしながらも、自身がよく見かける光の存在などについては「イリュージョン」に過ぎないと言い切った。


「隔離されている」

 立花氏守護霊は、大川総裁の膨大な量に及ぶ霊言について、独自の分析を縷々述べたが、「脳から発信されている電磁波のようなものをキャッチしている」など、あくまで脳の機能としか捉えられない様子。心は脳の機能だとして、「死んだら消滅する」と断言した。
 唯物論者から転向して、あの世を肯定するようになった、臨死体験の研究者レイモンド・ムーディ博士の例についても、「(ムーディ氏の)脳細胞が変化した」と主張。さらに、信仰心を持つかどうかは、結局、本人がそれで得をすると思っているか否かに過ぎないという見解を示した。

 立花氏守護霊はさらに、自らが普段、あの世のどこで生活しているかを描写。「隔離と言えば隔離」と述べながらも、自分の置かれた状況を把握し切れていないことが明らかとなった。
 NHKの報道姿勢については、「NHKはできればあの世とかは否定したいんだと思う」と述べ、民放なら違う結論にするだろうと語った。

 霊言終了後、大川総裁は、「信じる者と信じない者の差は激しい」とし、この世的な知識のみで神を測ろうとすることの間違いを指摘した。知識社会の落とし穴に警鐘を鳴らすと共に、信仰心の尊さについて改めて啓蒙する内容となった

posted by megamiyama at 10:48| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする