2015年01月19日

阪神大震災から20年と2日…

早、一昨日になってしまいましたが、1月17日は、阪神淡路大震災から20年目の日でした。

20年の節目の年ということで、この処テレビでは終日震災特集が組まれ、17日はご高齢の天皇陛下皇后陛下共々揃って神戸においで下さったり(16日の夕方神戸に出かけた家人が、「三宮は天皇陛下ご夫妻が来られるというので、ものものしい警戒態勢が敷かれていた」と云ってましたから、前日から神戸に入られていたのかも知れません。)、所属する阪神支部では、分割される前は一つだった三田、川西、宝塚地区からも人が来られ、17日お昼過ぎに元阪神支部合同「天変地異調伏祈願」が執り行われました。そのあと当会の名物講師さんをお招きして特別の勉強会も催されました。

その講師さんが良かったんです!(笑)
みるからに福々しいえびす顔の“おっちゃん”でしたが、のっけから「見た目はふとめの“ほそみ”です」と会場を和ませ、元郵便局(簡易保険課)時代や幸福の科学の職員になった当初から、終始一貫突き進んでこれた武勇伝をぶっちゃけトークで聞くうちに、ポジティブパワーの何たるかが今更ですが、少しワカッテきたのでした。
こういう、あらゆる現場を渡り歩き、その経験をその都度次のステップへの足がかりとして来た“たたき上げの課長さん”タイプ(つまり当会によくいる“お坊さん”タイプではなく)の方こそ、ネガティブになりがちな日本人社会には必要な人材なのだと痛感しました。

支部も日本人の集まりですから、政党同様“頭打ち”感がこの処激しいのですが、自分がやらなきゃ誰がやる!?と本気で周りを感化していく人間が、幸福の科学信者であろうがあるまいが、出てくることが突破口なのでした。(そういう意味でも、自分がその人材になる!という決意ももちろん大切ですが、まだまだ外に眠っている人材がごまんと居るという事実に気づくことの方が先決の気がします。

要は、すべての日本人が今の足踏み状態から、日本の為に、世界の為に、宇宙の為に、神サマの為に…、何より自分の魂の向上のために、一歩踏み出す勇気が必要なのでした。

一番、出遅れ気味の、責任を負わないことが自由と勘違いして生きてきたような「花降る里」管理人でさえ、じょじょにワカッテきましたので、これから実地に“検証”をしていきたいと思います。(こうやって、ブログに宣言をするだけで、二日もかかってちゃ先が思いやられますが、これも管理人ならでは「知行合一」。若干(かなり…?)のズレは“性分”ですのでお許しの程を!)

と言うわけで、1月17日は阪神に住む者にとっては、運命の分かれ目の日であり、“神の戸”で地獄のフタが開いた日であり、その日を境にありとあらゆる災いが日本を襲いはじめた(オウムのサリン事件も同年!)という意味では日本にとっての“終わりの始まりの日”でもありましたが、終わるべきものが終わらなければ、新しい時代が始まらないので、何とか生きている間に新しい時代の萌芽を見守り、育てたいものだと思います。

20年前小学生だった娘が母親となり、その孫の“子守”で結構、時間が取られてしまう昨今ですが、ソレも又良し!
震災の記憶は、平穏な日々の有り難さに気づかせてくれます。

旦那さまも大切にせねばバチがあたるので、ブログも程々にしなければと思ったりして記事の更新が途絶えがちですが…それも又良し!?(年明けの智慧の法研修で、プロフェッショナルの語源が「信仰を告白する
(神に誓いを立ててこれを職とする)」であり、「その仕事をしてお金がもらえる」こととあり、もう一度“本業”に精を出してみようかなと思ったりもしています。“軍資金”は必要です)

根が欲張りなので、あれもこれも…と思って居るウチに、どれもこれも中途半端になってしまうパターンが多い「管理人」ではありますが、しかし、短所は長所!?でもあるそうですから、これからもマイペースでやらせてもらいます。

こんなンデスが、今後とも出来ればおつきあいの程、宜しくお願い申し上げます。(これでもキモチ
は、ブログが“本業”デス!)





posted by megamiyama at 07:31| 兵庫 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月14日

ここ数日

年末からどうも記事の更新が滞りがちで、ご来訪くださった方には申し訳ない日が続いてしまいました。

書くことがない訳ではなく、ありすぎて結局書けずじまいでバタバタと日を過ごしております。

先週の土曜日は、大阪正心館で行われた「智慧の法 公案研修」というのに、行ってきました。日曜日は仕事でしたが「智慧の法 講義」の採れたてDVDを頂いて返り今日やっと聴けたのでまずその感想を書きたいし…と思いつつ、成人の日の(一)昨日は、最寄りの式典会場周辺に支部から繰り出し、昼過ぎから四時近くまでかかって、用意した「智慧の法」や小冊子「ヤング・ブッダ」などが入ったお祝い袋の大プレゼント大会に参加したことも、自分の中のトピックスだし…などと考えているウチに、今日も日付けが変わってしまったのでした〜

「智慧の法 講義」については、前回の「神は沈黙していない」のご講演の時の、映画「神は死んだのか」の紹介同様、今注目の“ピケティ本”に総裁が言及されていたのはさすがというか、漏れがないというか…総裁のアンテナの感度の良さと情報処理能力の素早さには圧倒されました。(しかも、何と言うことはない、さらっとした言い方なので、あたりまえの話を聞いたような感覚になる処がすごい!)
今回の総裁の「ご講義」については、大川髢@ネット後援会のアモ〜レさんが、アモ〜レさん流にまとめて(2本!)下さってますので、よければソチラを参考になさって下さい。(http://ameblo.jp/oramorre/entry-11976198618.html 「ご法話「智慧の法講義」の、アモ〜レ的な感想。」 http://ameblo.jp/oramorre/entry-11976628568.html「「智慧の法」は宗教の、新たな概念を生むだろう。」)

その前日に受けた『「智慧の法」 公案研修』では、ちょっとサプライズな内容が含まれており、霊感の鈍い管理人にも守護霊の暖かさと光に触れさせてもらったように感じる瞬間がありました。
研修の中で一番印象に残っているのは、講師の「長年どうしても気が合わない上司が居たが、自分の嫌な部分を見せられているのだと気づいた途端、嫌っていたことを心から詫びる気持ちになった」という個人的体験の告白とそこから得た“悟り”「大川総裁の著書や言葉には確かに智慧がつまっているけれども、それが自分の智慧(悟り)になる為には、自分なりのアイデアや一工夫がどうしてもいるんです。」と言う言葉。
講師さんのお話って、ココだけの話…“具体性のない、ヘタなお説教”が多いのですが(ゴメンナサイ!)、ご本人の“過酷な試練”?の末につかんだ「智慧の言葉」は、説得力が違いました。

智慧というのは、個人個人が自分でつかむしかないものですから、人間の数だけ智慧があってよいのでしょうね。
そして、一人ひとりの気づきの分だけ、世界が明るくなるのでしょう。

一人ひとりの智慧の光が、増して行きますように!

自分も含めて、「絶望や抑圧の闇に負けませんように!」と祈らずに居られません。(「遅い!」のも負けている印でしょうか…?)

成人式に集まって来た若者達は、本を読まない世代。人生の中で様々な経験を積み、苦労して智慧を身につけていこうとしているのでしょうが…、これからのキビシイ時代の“転ばぬ先の杖”として、大川総裁の著書が役に立ちますように とお祝い献本に参加しました。(風邪の咳が残ってマスクしているので、車の運転と運搬係だけの予定でしたが、現地に行ってみると人手が足りないことが判明。そのまま、献本部隊の一員になりました。)

晴れ着で賑わう会場の出入り口に、夕方近くまで居りましたが、天気に恵まれ思ったほど寒くはなく、めでたい晴れ着の集団を間近に見られて、こちらまでめでたい気持ちになれた日でした。

「おめでとうございます!」といって差し出すと大抵は「有り難うございます」と笑顔で受け取ってくれましたが、中には「何コレ?」という子達や警戒して受け取らない子も…。(「成人のお祝いの本だよ」「たまには本読みや」というと「ありがとう!」と素直に喜んでもらう子もいれば、「饅頭やったらもらうけど、本ならいらんわ」とその場で突っ返す子もいるわ…)会員が身銭を切って買いためた2千冊もの本を、ネコに小判のように若者達にばらまいて、選挙同様、どれだけの効果があるのだろうと思わなくもないですが、手渡された「智慧の法」を素直に受け取り、1ページでも読んでくれたら、良しとせねばならないのでしょう。

これからのキビシイ時代を、自分で考え、自分の力で生き抜く智慧を身につける為のヒントを、成人の日に与えられた幸せに、いつか彼らが気が付けますように!(会場では袋のまま捨てられた本があったので、10冊程度回収しましたが、どこかの駅や路上のゴミ箱には、もっとたくさん捨てられたのではないかと思うと哀しい限り…ですが、届けられるべき一握りの子達には届けられたと信じます)

頑張ろう、日本!
posted by megamiyama at 07:07| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月02日

ひきこもりの予言詩 【 新たな年に向けて 】  by アモ〜レさん

光の進軍にも載せた記事ですが、今年一番にご紹介するのは、ご存知「大川髢@ネット後援会及び幸福実現友の会」のアモ〜レさんのブログです。

幕府を見限った薩摩とは…?歴史の引き金をひく現代の薩長連合とは…?

いよいよ、時間切れが迫った自民党政治?

驚くべき示唆に富んだ予言が出ました!

アモ〜レさんの守護霊さん=ひきこもりさんの慧眼恐るべし!

安倍幕府は正月早々、浮かれている場合じゃなさそうですが…今はまだまだ“我が世の春”というところでしょうか?

この予言どおりに、すでに何かが始まっている気配はします。

しかし、一番肝心なのはココ

「歴史の大変動の傍観者となるか それとも歯車を回す一員になるかはひとえに あなた個人の判断に懸かっている」

そうです。まだまだ傍観者でいたい人々が日本には多すぎます。

宝くじに当たりたいなら宝くじを買わなくちゃはじまらないのと一緒(笑)で、歴史を動かしたいなら、動いてほしいと願わなければ動きません。冷めた傍観者ばかりじゃ何も始まらないでしょう。

願うのだけは得意の「花降る里」、今年最初は“引きこもりの予言詩”のUPから始めさせて頂きます。


http://ameblo.jp/oramorre/entry-11969714736.html

ひきこもりの予言詩 【 新たな年に向けて 】

2015-01-01 09:56:30NEW !
テーマ:ひきこもりの予言詩



年は明けた

それは同時に 一つの時代が 時間切れとなったことを 意味する

幕府は自ら 賞味期限切れということを 歴史に示したのだ

それが 2015年 1月1日の意味だ


刻々と 流れるときの中で 


咲く時期を 間違えた花は かわいそうなだけだ


季節を間違えて 出てきた虫は 気の毒なだけだ


まだ幕府は 薩摩が見限ったことを 知らないようだ

知らない ということが すでに運命なのだ


ああ これが 神仕組み というものか


歴史は 繰り返すだろう

いや 歴史は 繰り返すものなのだ


歴史の変転の中に 神はいるからだ

歴史を創るのは 神だからだ

そもそも 時間の発明者は 神なのだ


川の魚は 川の流れに 身を委ねるしかない

気流に乗ることなくして 鳥は空を 飛ぶことはできない


人は ときの流れを読み 

それに身と心を 委ねられるからこそ 人なのだ

人にとって ときの流れこそ 川の流れであり 気流である

ときの中に神はあり ときの流れも また神の心なのだ


神の子人間は 神の創りし 法則を理解し 


その中で 最善を尽くせるからこそ 神の子なのだ


だから いつまでも 同じ時代が続くとは 思わない方が幸福だ


この国の幕府だけが いつまでも同じときを 謳歌できると思えるのか


そう思うこと それを 「愚か」 というのだ



幕府は 薩摩の尻尾を踏んだことに 気付いていないのだ

気づかぬことが 愚かなのだ


ああ 愚かなることよ


だが考えてみれば 愚かなる者に ときを読めというのも 酷なことだ


長州と薩摩が 反目している間は 幕府は存続できた


しかし 長州と薩摩が 目的をひとつにするとき


それが どういう意味を持つかは 


日本人なら 知らなければならない


それを当然の ときの流れとして


それが 教養の力だ

それが 智慧の眼 というものだ

歴史を読む者 ときの流れを読む者は 神の願いをも読むのだ


かつて長州と 薩摩の思惑は 一体ではなかった

しかし 共に志は高く 堅牢なものだった


幕府の間違いは 薩長両者が共に持つ 


強く高い志を 理解できなかったことだ


歴史は 繰り返す


火蓋が いつ切られるかは 言うまい


だが 導火線に 火は付いた


2015年 1月1日をもって


2019年 遅くても2024年には ことは済んでいるだろう


これが ひきこもりから見える 最も遅い 革命成就の年だ


現代(いま)を生きる 日本の国民(くにたみ)は


神武東征と 源平合戦と 戦国からの統一と 幕末明治維新 


全てを併せたほどの 歴史スペクタルを これから見るだろう



歴史の大変動の 傍観者となるか 


それとも 歯車を回す 一員になるかは 


ひとえに あなた個人の 判断に懸かっている



あけまして おめでとう



 Lyrics Hikikomori




posted by megamiyama at 09:17| 兵庫 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする