2016年08月10日

(更新)「天皇」あっての日本国

八月八日天皇陛下は、今後の日本国と日本国民に対して、渾身の問いかけをなされました。

平成天皇としてのつとめを全うし、古来から万世一系で受け継いできた皇統を絶やさず、後世につなげていく為に、今何をすべきか?を考えられた末の「ご意向の表明」だと思われます。

新年やお誕生日など特別な日でもない八月八日に「昭仁天皇の意向」が表明されたことは、ちょうど70年前の8月15日の昭和天皇の玉音放送以来の”異例のコト”です。

「昭仁天皇のご意向の表明」によって初めて、そのお心が何処にあられたかを、国民は伺い知ることとなりました。

日本にとっての重大な転機には、必ず「天皇のお言葉」がある日本。

「陛下のお気持ち」をどう受け止めるかに、これからの日本国と日本国民の未来がかかっています。

故に、国民に選ばれた国会議員のこれからの「政治責任」は重大ですが、選んだ国民にも結果責任が問われます。

暗に陛下が危惧されている通り、天皇が政争に巻き込まれ、国家元首として更なる戦争責任を問われる事態にならないように、一刻も早く形式上の「政治責任」を負うお立場から離れ、敬うべき日本の象徴として本来の「天皇のお仕事」(「お言葉」を借りれば『(神官の長として)国民の安寧と幸せを祈り、人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添うこと』)に専念して頂く「体制づくり」こそ、急務ではないでしょうか?
日本に必要なのは「政教分離」ではなく「政教一致」のはずですが、今となってはそれは適いません。
しかし、「天皇」が日本国の責任者であるのは、神官の長としての責任であって、政治上の責任は政治家が負うべきであるのは、先の大戦での初めての敗戦で日本が思い知ったことでした。

平成天皇が今、敗戦後も天皇制を維持する為に「日本」が受け入れた「日本国憲法憲法」の改正が叫ばれる中、しかも神官の長としての本来のツトメが国民に充分理解されているとは言えない状況の中で、ご自身のお体や時代の変わり目を悟って「退位」をお考えになられるのは、無理もないことではあります。

戦後の「天皇」の置かれた立場、(国家元首としての戦争責任論も含めて)お役目のしんどさを思えば、そろそろ、神官の長としての本来のお役目にお戻り頂くことこそ、昭仁天皇にとっても国民にとっても、喜ばしいことではないでしょうか?

これまでソレが出来なかったのは、天皇陛下に政治上の最終責任を負わせないと気が済まない勢力が日本にいるのでしょうか?
日本には、そこまでして、天皇が国事行為に追われ、神事に専念させたくない”強い意向”が働いてきたのでしょうか?
その「強い意向」は、国民の意向でも、ましてや「天皇のご意向」でもないのは明らか!

国民に寄り添い、国民の幸せを祈る「八月八日の平成天皇のお言葉」こそ、戦後の日本を牛耳る「強い意向」に対して、我慢に我慢を重ね、無理に無理を重ね、”本来の自分”を抑えに抑え続けた末に発された「日本人の気持」であります。

世界に発信すべき「在りがたきお言葉」と思います。

(他の国の国家元首で、かくも「無私の言葉」を発される方がほかにいるでしょうか?ならば、日本一国の政争に巻き込んで責任を押し付けてはいけないご存在のはずです。日本古来の宗教「神道」の神官の長として、別次元に置かれるべきです。)


天皇陛下のお言葉(抜粋掲載)

『伝統の継承者として,
これを守り続ける責任に深く思いを致し,
更に日々新たになる日本と世界の中にあって,
日本の皇室が,
いかに伝統を現代に生かし,
いきいきとして社会に内在し,
人々の期待に応えていくかを考えつつ,
今日に至っています。』

『そのような中,
何年か前のことになりますが,
2度の外科手術を受け,
加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から,
これから先,従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合,
どのように身を処していくことが,
国にとり,
国民にとり,
また,私のあとを歩む皇族にとり
良いことであるかにつき,考えるようになりました.』

『私はこれまで天皇の務めとして,
何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが,
同時に事にあたっては,
時として人々の傍らに立ち,
その声に耳を傾け,
思いに寄り添うこと
も大切なことと考えて来ました。』

『天皇が象徴であると共に,
国民統合の象徴としての役割を果たすためには,
天皇が国民に,
天皇という象徴の立場への理解を求めると共に,
天皇もまた,自らのありように深く心し,
国民に対する理解を深め,
常に国民と共にある自覚を
自らの内に育てる必要を感じて来ました。

こうした意味において,
日本の各地,
とりわけ遠隔の地や島々への旅も,
私は天皇の象徴的行為として,
大切なものと感じて来ました。』


『天皇として大切な,
国民を思い,国民のために祈るという務めを,
人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは,
幸せなことでした。

天皇の高齢化に伴う対処の仕方が,
国事行為や,その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには,
無理があろうと思われます。』


『また,天皇が未成年であったり,
重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には,
天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。
しかし,この場合も,
天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま,
生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。

天皇が健康を損ない,深刻な状態に立ち至った場合,
これまでにも見られたように,
社会が停滞し,国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます
。』


引き続き、「木花咲耶姫様の御神示・神様の警鐘」転載させて頂きます。


http://konohanasakuya.blog.jp/archives/9195602.html

天皇制あっての日本国。

(8日、天皇陛下が現在の『お気持ち』を表明されました。)

天皇制は万世一系で繋がれてきた、他の国にはない制度です。

天皇家を父系で遡ると、後の日本、『トコヨクニ』を建国された初代アマカミのクニトコタチにたどりつきます。

代々のアマカミは大本の神様と繋がり交信し、そしてタミ(国民)の生活が潤うよう導く指導者でした。

その血が脈々と現在の天皇家にまで繋がれてきているのです。

時代の変化によって天皇陛下は国の象徴とされて行動や発言にも制限がありますが、大本の神様と繋がり交信して、国民を守るそのお役割は変わること無く受け継がれており、そのお努めはご高齢の天皇陛下にはとても激務であり重圧となっておられるのではないでしょうか。

かつてのタミがアマカミに対して絶大なる信頼と感謝を示したように、私達も天皇陛下のそのお役割の重さを少しでも理解し感謝し、日本だけに存在している万世一系の皇家という伝統を守り続けていかなければなりません。



http://konohanasakuya.blog.jp/archives/9264206.html
2016年08月09日

天皇陛下


はるか遠き神世の時代。
食べものも少なく、文明の発達も穏やかなりし頃、神は人を愛で、人は神を尊び感謝捧げ、人の魂も美しく輝けり。
神は人に我を与えん。そは人が発展し向上し、さらなる成長図るためのものなり。
なれど長き時流れ、文明発達し食べものも豊富となるにつれ、人は少しずつ神から離れ、その我は神の思いに反し我欲として増長せん。
さにて神は常に神と交信し神の道から離れし人を正道にいざなう役割を担い神に仕える人、天皇陛下を定めん。
人が正道にありて、更なる発展を正しく遂げるために天皇家は存在す。
さなれば日の本復活には、天皇陛下が神世の時、神より与えられたる本来の役割取り戻さねばならぬものなり。

ラベル:皇室
posted by megamiyama at 09:33| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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