2015年05月14日

5.15 小惑星の接近!?  It's all Right !

「50年以上生きて、はじめて「老いることは悪くない」と思えたことに感謝したいと思います。」
と語る「In Deep」さん。

「明日、小惑星が地球に急接近」という “何が起こるかわからない、本当は恐い情報”と、「人間、いずれいつか死ぬ。」という“本当に怖い真実”(笑)と二つを見比べると、「どっちにしても、死ぬ時は死ぬ。何も恐れることはない。」ということに気づかされますが、人生の艱難辛苦も、病気も老いも、すべて、起こるべくして起こっている自然現象(これが“神の御業”)と考えれば、「悪いことなど一つもない」のかもしれません。

といっても、「死出への旅の夢を見て、喜ぶ人はなかりけり。」 (智慧の言葉「仏陀の悟り」より) も又、真実。

ジタバタと苦しんだり、喜んだり、悲しんだりしていくうちに、命と世界があることへの感謝が、自然と人間に生まれるような“仕掛け”になっているのでしょうね。

それにしても、これから、感謝も祈りも忘れ果てた現代人類に何が待ち受けているのか?
すでに、「終わりの始まり」のような不気味なことが世界中で起こり始めているので、ちょっと心配です。

なんで、よりによって今!? 恐るべし、小惑星!

「神様、仏様、人類を見捨てないで〜!」と云いたくなりますが、人間の側が、神仏を見捨て自分達の力で何とでもなると思った時、艱難辛苦が訪れることになっている気もします。

人知を超えた「宇宙の神仕組み」に対する畏怖なしに、人間が「神」に近づいていく道などあろうはずもないというのに、「神など居ない」あるいは「自分達の神だけが正しい」と主張して憚らない“愚かな人間”ばかりが、地球に蔓延っていくなら、“大掃除”されても文句は云えません。

明日、何かが起こるのでしょうか?起こらないのでしょうか?

すでに、今起こっていることの延長線に未来があるなら、今ちょっとだけ、一人一人が神様の気持ちになって考えてみるのも良いかも知れません。

日本人の「宗教嫌い」もいい加減にしないと、罰があたります。(宗教を嫌うということは、神仏を嫌うということですから)

最近の「InDeep」さんの記事、「来世」とか「死後」とかさらっと出てきて、良い感じデス


http://oka-jp.seesaa.net/

「老いることには意味がある」ことを考えつつも、5月15日に地球近くを通過する巨大小惑星1999 FN53 報道の「謎」も気になって

48時間後に通過する地球近傍小惑星 1999 FN53

今朝、英国のエクスプレスに、下のニュースが出ていました。
in Deep  5.15小惑星接近.gif

asteroid-1999-fn5.gif

▲ 2015年05月12日の英国 EXPRESS より。


物騒なタイトルですが、内容を読む限りでは、「 1999 FN53 」という数百メートル〜1キロメートルほどの大きさの小惑星が 5月14日(日本時間 5月15日)に地球に最接近するという内容です。

近いところを通過するといっても、距離を見ましたら、地球から 1000万キロメートル近くも距離があり、何か地球が影響を受けるという可能性はほとんどゼロだと思います。

しかし、上の記事を少し読んで、

「何かおかしいな」

と思うのでした。

というのも、私は毎日、地球に接近する軌道を持つ小惑星(地球近傍小惑星)の表をスペースウェザーで見ています。そこには、通過する軌道を持つ天体や小惑星がすべて表示されています。

しかし、スペースウェザーの表には、この 1999 FN53 という小惑星は出ていないのです。

2015年5月13日のスペースウェザーより
may-14-asteroid2 小惑星No.2.gif

・Spaceweather


英国エクスプレスは通常のメディアではありますが、娯楽要素が強い傾向がありますので、もしかして、エクスプレスのこの記事はジョーク記事のたぐい? とも思いましたが、NASA 小惑星レーダー・リサーチ( ASTEROID RADAR RESEARCH )には、1999 FN53のページが存在していて、そこには「最接近 2015年05月14日」と書かれていますので、エクスプレスの記事は確かに正しいようです。

下は NASA の該当ページです。

nasa-1999-fn53 小惑星 No.3.gif

・NASA

どうして、スペースウェザーはこれを載せなかったのかなあという点においては不思議な気もしますが、いずれにしましても、NASA のデータの最接近距離の計算が正しければ、先ほども書きましたが、地球への影響はまったくないです。

ちなみに、地球近傍天体の最接近距離は「 LD 」という単位を使い、これは 1LD が 月までの距離( 384,401 キロメートル)となりますので、今回の小惑星 1999 FN53 の最接近距離は、

26.5LD × 384,401 キロメートル=10,186,626キロメートル

となり、約 1000万キロという遠い場所を通過していく小惑星で、計算に間違いがないのなら、何の問題もないと思います。

とはいえ、このサイズのものが、いつの日か、地球に衝突するようなことがあれば、それはまあ確かに大惨事ではありますが。

以前、フレッド・ホイル博士の『生命はどこからきたか』にある「彗星の大きさとその衝撃」の表を載せたことがあります。

tnt-1-b1 小惑星接近の影響.jpg

・過去記事「良い時代と悪い時代」より。

今回の 1999 FN53 は上の表での 700メートルのものと近いサイズですが、このサイズですと、広島型原爆の5万倍の破壊力があるとしています。

このようなものはどこに落ちても大変でしょうが、特に、「海」に衝突すると、深刻なことになりそうで、たとえば、過去記事の、

・高さ1メートルの津波を起こすかもしれない西之島。そして、かつて高さ「100メートル」の津波を起こしたエル・イエロ島。さらには高さ「500メートル」の津波を起こす可能性のあるキラウエア火山
 2014年08月21日

で、今から 13万年前に、カナリア諸島の南西端にあるエル・イエロ島という海底火山の山体崩壊によって、高さ 90メートルの津波がかつて起きた可能性があるということなどを記しました。

地球は海の面積のほうが広いわけですから、大昔の地球でもあったように、衝突する時があれば、衝突する場所は海である可能性も高そうです。

まあ、それはともかく、なぜスペースウェザーが、小惑星 1999 FN53 の情報を載せなかったのかの謎は残ったままでした。

「うっかり記載ミスかな」とも思いましたが、スペースウェザーの記事を書いているのは、NASA の科学者であるトニー・フィリップス博士( Dr. Tony Phillips )という方で、うっかりミスは考えにくいです。

しかし、小惑星のことについては、気にしても仕方ないといえば仕方ないことですので、そういうことがあったことについてのご報告でした。


ところで、話は全然関係ないですが、最近になって

「老いることには意味がある」

ということに気づきはじめまして、今まで、年をとるのは一方的に良くないことだとして、「イヤだなあ」とか思っていたのですが、老いとはそういうものではないようです。



人間の老いというシステムの意味

昨日の、
ガン発生のメカニズムも、また人間に与えられた優れた機能」だということをほんの少しだけ書かせていただきます
2015年05月12日

という記事で、「ガンも自然良能」だということを書きましたけれど、「人間に与えられた機能に無駄なものはない」ということが、さらにはっきりと実感されるところです。

ということは、老いるというのは、ただ人が弱っていくことではなく、

「老いることには人間としての意味がある」

ということになりそうです。

ところで、昨日の記事の内容については、新潟大学名誉教授の安保徹さんと石原結實医師との対談本『安保徹×石原結實 体を温め免疫力を高めれば、病気は治る』がわかりやすいと思います。

2005年のもので、それほど新しいものではないですが、お二人の主張はこの頃から今に至るまで、まったく主軸がぶれていませんので、年代は関係ないと思います。

この本には、本当に、目からウロコやらウロボロスやらが落ちまくる(怖いわ)内容が随所で語られています。

さて、この「老いる意味」ということに関して、ちょっと視点を「精神科学」の方から見てみたいと思います。たとえば、シュタイナーの見解は、「老い」ということについて、またひとつ別の側面を見せてくれます。

『人間の四つの気質―日常生活のなかの精神科学』に収録されている 1907年のベルリンでの講演「人生設計」で、シュタイナーは、老年期について以下のように述べています。


1907年のシュタイナーのベルリンでの講演「人生設計」より


三十五歳から、人間はますます内面に引きこもります。もはや青年の期待、青年の憧れを持ってはいません。その代わりに、自分自身の判断を有しています。公的生活における力と感じられるものを持っているのです。エーテル体(生命体)に依存している力と能力、記憶がいかに衰え始めるかもわかります。

そして、およそ五十歳頃、物質原則も人間から退きます。骨が弱くなり、組織が緩んでくる年齢に入ります。物質原則はだんだんエーテル原則と結び付きます。

骨、血液、神経が行ったことが、独自の活動を発展させはじめます。人間はますます精神的になります。もちろん、以前の教育が正しくなされていることが、その条件です。

後半生になって、私たちは初めて未来に向かって活動します。人間が高齢になってから自分の内面に形成するものが、未来の器官と身体を形作ります。

内面に形成されたものは、その人の死後、宇宙にも寄与します。その成果は、来世における私たちの前半生において観察できるはずです。


ここに

> 後半生になって、私たちは初めて未来に向かって活動します。人間が高齢になってから自分の内面に形成するものが、未来の器官と身体を形作ります。

とあり、シュタイナーの主張する輪廻転生の観念では、

「高齢になって、はじめて人は次の世(来世)に向かっての活動を始める

ということらしいのですね。

あんまり関係ないかもしれませんけど、みんなではないでしょうが、若い時に、たとえば、性の問題なども含めて、いろいろな意味でギラギラしていた人でも、年を取れば、どんどんと欲も得もなくなっていくというのが普通ではないでしょうかね。

たとえば、ビートたけしさんは 68歳ですが、先日の芸能ニュースで、


「ここ半年、女性に興味がなくなった。40代は凄かった、最近は女性には興味ない。仲間と飲んでいる方がいい。もっと何十年前にそういう状態だったらもっといい仕事ができた」

というようなことを言っていたりしますが、私などもそうです。

ところが、

> もっと何十年前にそういう状態だったら

というのは、望んでもそうはならないのが人間でもあります。
これは、私自身を考えても、そういうように思います。

多くの高齢者は、次第に、いわゆる「仙人」のような心持ちになっていく。

仙人といえば、昨日の記事でご紹介した安保徹さんの講演会の中でも、「仙人」という言葉が使われていました。
mit-sen-nin 人生の最期は仙人.gif




上の図のように、人生の最期は「仙人」となっていますが、これは冗談ではなく、「解糖系」と「ミトコンドリア系」ということに関しての大変に難しい話の流れで、人間は年齢と共に、どんどんと食べなくてもいい体質(ミトコンドリア系)となっていくので、死ぬ直前の頃には「何も食べなくて生きられる時が来る」というようなことを、冗談を交えながら語られていました。

そして、シュタイナーによれば、人間の高齢期という時は、

> 未来の器官と身体を形作る

という時期でもあるようで、人間の最晩年というのは、物質的に仙人のようだったり、精神科学的には来世に足をかけていたりという、どうにも「霊的な存在」として死んでいくものなのかもしれません。


いろいろと悟ることが自然と出てくる老いの世界

少し前に、京都新聞の、

わらじ医者、がんと闘う 死の怖さ、最期まで聞いて
 京都新聞 2015.04.26

という記事を読む機会がありました。

テレビドラマのモデルにもなったことがあるという元医師で、91歳になる早川一光さんという方が、自身が血液がんの一種である多発性骨髄腫にかかり、「医師から患者へ」となったことに関しての話です。

早川さんは、抗がん剤治療を続けながら、在宅医療を受けているのだそう。

少し抜粋します。

「わらじ医者、がんと闘う 死の怖さ、最期まで聞いて」より

多くの人をみとり、老いや死について語ってきたはずだった。しかし、病に向き合うと一変、心が千々に乱れた。布団の中では最期の迎え方をあれこれ考えてしまい、眠れない。食欲が落ち、化学療法を続けるかで気持ちが揺れた。

「僕がこんなに弱い人間とは思わなかった」。

長年の友人である根津医師に嘆いた。

根津医師には時に患者としてのつらさを、時に医師の視点から治療への疑問を率直にぶつける。ある日、こう投げかけた。「治らないのに鎮痛剤で痛みを分からなくするのが今の医療か。本当の医療とは何や」。

根津医師が迷いのない口調で切り返す。

「在宅医療では痛みや苦しみを取ることしかできない。でも、それは生活を守ること。患者のつらさを少しでも和らげる。早川先生自身もやってきた医療ではないのですか」

診察のたびに繰り返される問答。いつしか早川さんはそこに、主治医のあるべき姿を見いだした。「10分でいいから患者の悩みを聞いてほしい。患者の最期までともに歩んでほしい」。患者になったからこそ、たどり着いた答えだった。


というような部分がありまして、まあ、昨日の記事などから、いろいろと思う部分はありますが、治療法についてはともかく、

「治らないのに鎮痛剤で痛みを分からなくするのが今の医療か」

と、かつての同僚でもある医師に言って、返される答えが、

「早川先生自身もやってきた医療ではないのですか」

であること。

医者の立場からも「自分たちがしている医療はガンに有効ではない」とわかっている。

この問答は、早川さんが元お医者さんだけに切ないものがありますが、しかし、上の記事では、最後のほうの下りに、


3月19日。診察が終わった後の客間で、早川さんは吹っ切れたようにつぶやいた。

「どうせ避けられないさんずの川や。上手な渡り方を勉強し、みんなに評価を問う。それが僕のこれからの道やないか」

とあり、ここにおいて、この方が一種の「悟りへの道」へと入っていっていることに気づかされます。

> 三途の川の上手な渡り方

というのは、過去記事、

・パッチ・アダムス医師の「楽しく人を死なせる」ための真実の医療の戦いの中に見えた「悪から善が生まれる」概念の具体性
 2015年04月19日

で書きましたパッチ・アダムス医師の考え方のひとつである「死ぬ人すべてに短くても楽しい生を」とも、おそらくは通じるところがあるわけですが、しかし、早川さんは「三途の川の上手な渡り方」と、諦観が先に立っていて、すでに「死だけを見ている」感じなのですが、そんなことはないと思うのです・・・。早川さんご自身が「西洋医学はガンに無効」だということを認識しているのなら、他の治療法に目を向けられることを祈っています。

何しろ、せっかく、早川さんが「患者の目線になることができた」ということは、「患者にとって最高の医者になれる可能性」が 91歳になって見えてきたということですから、生きるほうに目を向けて、お元気になっていただきたいです。

ところで、上の早川元医師は、91歳とご高齢ですが、安保徹さんの講演会で、安保さんは以下のように述べられています。


安保徹さんの講演会より

80歳、90歳台の人を解剖すれば、体の中に 5個や 10個のガンの組織が必ず見つかるんですね。お年寄りの人は、(ガンを)見つける必要も何もないんです。勢いがもうないから。

せいぜい、病院に行かないようにして、体を温めていればそれでいいわ。

早く見つけたほうがいいというのは真理なんですけど、やっぱり、今のように、治療が間違っている時は、見つけたほうが不利なんですね




年を取る、ということは、そのままでいれば、病気も拡大しにくかったりするわけで、生の勢いもなくなるけれど、対抗する病の勢いも弱くなる。

ところが、自然のままでいれば問題ないのに、今の高齢者の方々は薬漬けになっている人があまりにも多く、本来の人間身体の自然の機能がうまく働いていないと思うのです。

それどころか、薬による免疫低下や細胞機能の低下で、本来なるはずのなかった病気や、うつや認知症などをも発症させてしまう。

薬に頼らず、そのままの姿で生きていれば、もちろん苦しい症状などにも見舞われることがありますでしょうけれど、体の免疫は「死ぬ」まで自分たちの見方となってくれるはずです。

そして、最終的には、人は食べなくても生きられる「仙人」の状態で少しの間生きた後に死んでいき、その時の自我が、次の世に直接つながっていく・・・と考えると、穏やかに年をとり、弱っていって自然に死んでいくという「老いのシステム」はとても素晴らしいことなのかもしれません。

50年以上生きて、はじめて「老いることは悪くない」と思えたことに感謝したいと思います。
posted by megamiyama at 07:03| 兵庫 | Comment(0) | TrackBack(0) | In Deep | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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