2015年01月10日

公開霊言 ヘーゲルに聞いてみた

年末に「ヘーゲルの霊言」が出たので期待して読みましたが、大川総裁にかかるとカント同様、ヘーゲル哲学も「ガラクタの山」扱いには驚きました。
 表紙のカバーの内側にも「問題は、過去の偉大な哲学にしても宗教にしても時間が止まっていて、「現在ただ今のこと」に何も答えられないことだ」とまえがきの一部が引用されていて、徹底的に手厳しい評価が下された哲学者ヘーゲルさん。

霊人を呼び出す前に必ずその霊人の紹介をかねた大川総裁の前説があるのですが、そこでも「(役にたたないものには付き合いを程々にする癖があるので)観念論は時間の無駄。勝手に思うとれ。お好きにどうぞ」という部分があることはあるのです(笑)」「おそらくいくらでも膨らんでいくのだろうと思いますが、行きすぎると妄想の世界に入り込んでゆくのでつきあいきれないところがあります」とまで云われてました。

出て来たヘーゲルさんも、開口一番「ガラクタっていう言い方はないんじゃない?」と抗議された位ですから、相当傷ついた様子(笑)ですが、総裁が特にヘーゲルに対してキビシイ訳でもなく、総裁にかかるとどんなエライ哲学者もかたなしになってしまうところが、「霊言」の恐ろしさかも知れません。

総裁の判定に抗議をしたヘーゲルは珍しい方で、カントでさえ自分から「(カント哲学など)もうゴミ箱に捨てた方が良い」と認めてしまったくらいですから、ほとんど反論の余地はないようです。(反論したり逆切れするのは大抵天国に帰りそびれた霊人ばかりと相場がついてきました)

ただ、この世的には(特にその道の専門家が)戦後数十年とはいえ築き上げてきたものが根底から覆される恐怖に耐えられる学者はほとんど見あたらず、「霊言」がますます敵を増やすことに繋がっている面もなきしもあらず。(大川総裁にかかると、この世の権威など吹き飛び丸裸にされるだけでなく、一番痛い処をつかれるのですから、その信奉者達にとっては許し難き存在となるようです。)

未だ「正があって反が生じ、合に至る」ということで、弁償的発展の歴史の入り口にたったばかりなのかもしれません。(200年前とは時代の変化のスピードが違うので、このヘーゲル本人の霊言によって、訓詁学の檻から解放される学者が出て来ることを祈るばかりです。)

以下、リバティ転載。

文科省、学問、格差、幸福の科学……哲学者ヘーゲルが現代を斬る

公開霊言抜粋レポート

ヘーゲルの霊言 思想革命で価値観を逆転させよ
公開霊言「ヘーゲルに聞いてみた」
2014年12月5日収録
「霊言現象」とは、あの世の霊存在の言葉を語り下ろす現象のこと。これは高度な悟りを開いた者に特有のものであり、「霊媒現象」(トランス状態になって意識を失い、霊が一方的にしゃべる現象)とは異なる。また、外国人の霊の霊言には、霊言現象を行う者の言語中枢から、必要な言葉を選び出し、日本語で語ることも可能である。 詳しくは⇒⇒⇒大川隆法のスーパー霊能力 「霊言」とは何か


 西洋哲学史上、最も壮大な思想をつくった人物は誰か? この問いへの1、2位を争う回答として、ゲオルグ・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルの名前が挙がるのは間違いないだろう。ヘーゲルは19世紀前半にドイツで著作活動をし、カント、フィヒテ、シェリングと続いた「ドイツ観念論」を大成させた哲学者として知られている。
 幸福の科学の大川隆法総裁は、この哲学者ヘーゲルの霊を招霊。ざっくばらんに質問をぶつけることで、その個性や考え方の筋を探った。霊言では、学問の本質、政治思想のヒント、現代日本へのアドバイスなどが語られたが、ある意味でヘーゲルの“人間味"も味わえる内容となった。


ヘーゲルの生前の哲学とは

 ヘーゲルは、古代ギリシャのアリストテレスにも比肩される、史上最大の体系家の一人だ。彼の哲学には、論理学、自然科学、法学、経済学、政治学、宗教学、美学、歴史学など、当時のあらゆる学問ジャンルが詰まっている。主著の一つに『エンチュクロペディー』(百科事典)というものがあるが、その名の通り、一人で百科事典を書いてしまったかのような印象がある。
 精確さを多少犠牲にして、ヘーゲル哲学の大枠だけを述べると次のようになるだろう。絶対者である神は「論理」として抽象的に存在していると同時に、現象化して「自然」としても存在する。さらに自然の一部である人間に「精神」活動をさせ、それが歴史の中で、法律、政治制度、芸術、宗教、学問を生んでゆく。喩えるなら、論理が神の「骨格」、自然は神の「肉体」、人類の精神活動が神の「心」の表現ということになるだろうか。
 彼の哲学は同時代に大きな影響を与えたが、やがて、カール・マルクスがそれを換骨奪胎して唯物的に解釈。そのマルクス主義が圧倒的に強くなったことから、ヘーゲルは神を語る反動的な思想家というレッテルを貼られるようになった。そのため、毀誉褒貶の多い哲学者であり、難解な文章で書かれていることもあって、ヘーゲルの全体像や真意は現代人には伝わりにくくなっている。
 霊言では、生前の思想の繰り返しになることを避けるため、現代の諸問題について質問したが、それに対する回答は、ある意味で難解なヘーゲル哲学を“逆照射"し、分かりやすくするものとなっている。


科学万能主義は「バカ」

 霊言ではまず「宗教と学問」「宗教と科学」の関係が問われた。10月、設置申請をしていた「幸福の科学大学」が文科省の判断によって不認可となったが、その理由を述べた文書には「霊言には科学的合理性がなく、それに基づく教育は認められない」という趣旨の内容が書かれていた。幸福の科学大学は霊言を根拠にして教育するとは言っておらず、この文章自体が悪質な印象操作だが、そもそも「科学的合理性がない学問は教育してはいけない」のだろうか?
 これについてヘーゲルの霊は「『科学で分かるもの以外は学問ではない』なんて、もう、バカとしか思いようがない」「文科省の役人、精神病院に入った方がいいよ」と吐き捨て、その判断を一刀両断した。さらに、学問の序列について「宗教、神学、哲学があって、その下に他の実用性のある学問があって、そのさらに下に科学がある」と語り、下のものを使って上のものをチェックしているとして文科省を批判した。
 生前のヘーゲル哲学においても、「自然」は「精神」よりも下位の存在であり、自然科学も人文系の諸学問よりも下位に置かれていた。科学に対する見方には異論もあるだろうが、ヘーゲルの考えは生前も死後も一貫しているようだ。ヘーゲルは、矛盾を克服しながらダイナミックに変動する人間活動をとらえる学問の方が、自然科学よりも高度な認識力が必要だと考えていた。科学的手法を過大評価する現代とは価値観が正反対だ。
 ヘーゲルの霊は、学問の本質について聞かれ、「(人間が)肉体を中心に生きている者であるか、そうでないかということの〈踏み絵〉が学問だと思う」と語り、学問をしていない者は肉体的生存を中心に物事を考えるようになり、学問をした者は高尚な考え方を求めるようになると指摘した。学ぶ者の精神を向上させると考えている点で、儒学や陽明学など、徳目を重視する東洋的な学問観と大きくは違わないことが分かる。確かに、『精神現象学』をはじめとするヘーゲルの著作は、人間の精神がどこまでも高まってゆく過程を描いたものであった。


ヘーゲル哲学はもはや「ガラクタ」?

 実は、霊言に先立って行われた大川総裁の事前解説では、生前のヘーゲル哲学について「現代的に見れば、もうガラクタとしか言いようがない」「(ヘーゲルなどの観念論も)行きすぎると妄想の世界に入ります」と批判する一幕があった。

posted by megamiyama at 11:51| 兵庫 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 霊言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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