2015年10月21日

近畿の大五芒星について

(例によって遅ればせながら)先日のアイススケートの大会で披露された、羽生譲選手の新作演技のテーマは、「陰陽師」でした。
「イイセンスしているな〜!」と勝手に感心しておりますが、もしかして「時代は今、陰陽師!?」

時代を先取りし過ぎてついてこれない人が多い(笑)「幸福の科学」が世界に先駆けて「宇宙人の実在」と「米・中の国家機密」をサラッとアニメにして発信してみせた、映画「UFO学園の秘密」でも、(陰陽師といえば安倍清明。安倍清明といえば五芒星…の)「五芒星」が、“闇の宇宙人”を追い払うシンボルマークとしてかなり印象的な形で出て来ます。

そんなこんなで、このところ「五芒星」にハマッテいる管理人が、ネットでみつけたのがコレ!


はるかす阿倍野.jpg



近畿の大五芒星。

岐阜の伊吹山
京都福知山の元伊勢
淡路島の伊弉諾神宮
熊野本宮大社
伊勢神宮

の5つ聖地を結ぶと、正確な五角形になります。
そして、その中央のライン上に、平安京、平城京、飛鳥京、そして橿原神宮などが!
近畿の主要な神社がそこにみごとに配置されています。

(一筆書きの☆形をなぞるとすれば、和歌山の熊野本宮大社→滋賀の伊吹山→淡路島の伊弉諾神宮→三重の伊勢神宮→京都福知山の元伊勢→熊野本宮大社の順となります)

世界には、ナスカの地上絵等空から見ないとわからない大きな絵や印がありますが、空から見てもわからない程大きな☆印が、日本にはあるという話デス。

因みに今のままでは☆が逆さまになって見え、これではデビル・スターになってしまうので、「京都御所」を下の結び目に置き、熊野大社を頂点としてはじめて正しい☆形になります。(外国からは「悪魔の国」のように見られることもある日本は、ここで「その見方は逆なのだ!」と云うべきなのでしょう。)

「日本」は一度、天地をひっくり返して見ないとイケナイのかも知れません!

生まれてこの方、気がつけばほとんど「近畿の大五芒星」の中で暮らしてきた関西人の一人として、お遍路ならぬ「☆巡り」!、五芒星の最先端の「熊野大社」を皮切りに☆のラインをなぞりながら…一度はお詣りしておくべし!な気はします。

ともあれ、八咫烏と「那智の滝」という最強の守護神達(どちらもすごく男性的に感じるのは管理人だけでしょうか?)に守られた熊野神社をてっぺんとする近畿の主要聖地が、星形に配置されていると知るだけでも、守護の力は働く気がします。
ネット時代、すでに知る人ぞ知る「近畿の五芒星、聖地巡り」は始まっているようです。
他にも、きっと知る人ぞ知る、地域の五芒星、六芒星も見つかっているのかもしれません。

こうやって深く静かに「知識」が浸透し、神社仏閣を巡るツアーが本格的なブームになってゆけば、土地の気も人の気もあがってゆくのでしょう。人が集えば、神様もパワーアップされるに違いありません。(戦後壊滅的なダメージを受けた「高天原」にも、復興のチャンス到来の予感!?)

余談ですが、やはり皇居は東京から移し、京都か奈良に置くのが一番な気がしてきます。陰陽師的に見るならば…。

知恵袋の記事と一緒に貼っておきます。
https://www.google.com/maps/d/viewer?ll=34.660322%2C135.76355&spn=2.033196%2C2.636719&dg=feature&hl=ja&msa=0&z=8&ie=UTF8&mid=zZSAa7_WAEgc.kMNqweCtfGMA

近畿の大五芒星は、歴史学者の間ではどのように受け止められているのでしょうか?...

akira_kurosumiさん2012/10/2303:36:39
近畿の大五芒星は、歴史学者の間ではどのように受け止められているのでしょうか?一緯度長を持ち、正確な測量術と算術を駆使しなければ描けないもの、という指摘があるようです。
歴史ミステリーの一種ですが、日本書紀と古事記に登場する神話級の有名な神社で構成されています。数多くの神社の中から、たまたま五芒星の形の配置になるパターンが見つけ出されたわけではないことは、一緯度の長さを元に描かれていることから明らかだと指摘する神道関係者がいます。息長氏の巫女神道を伝承する社家の方などが、国防を目的とした護符と指摘しているようです。各神社は7百年頃建てられたものではないかと思われます。そうなると、歴史ミステリーとしては、邪馬台国などと比べればはるかに新しい、文字文化が定着した後の時代に造られた図形ということになるようです。史料が豊富に残っていそうな気がするのですが、歴史学者の視点から研究なさった方はおられるのでしょうか?

グーグルマップ『畿内の大五芒星』http://goo.gl/maps/ZAH9
※本当は、近畿の大五芒星、または大桔梗紋と呼ばれ、関西では巫女神道の家で女系継承されてきた女紋の代表格という話も、神道関係者から得ています。

この質問は、活躍中のチエリアン・専門家に回答をリクエストしました。

閲覧数:4,215 回答数:1


akatamayorihimeさん 編集あり2012/10/2817:49:11
なかなか回答が付かないようですね。近畿の大五芒星は、歴史学者も考古学者も守備範囲ではないと考えているようです。かといって、オーパーツの類でもありません。一緯度長で描かれていますから、偶然の一致でもありません。陰陽師が国防上のオマジナイとして企画し、意図的に描かれたものです。

図形を構成する神社の建設が計画された時代には、日本人は地球が丸いことが分かっていたことを意味します。ところが多くの歴史学者は、江戸時代に渋川春海が地球という言葉を発明したと主張して、それ以降地球は丸いという常識が広まった、といった説を採ります。でも、ルイス=フロイスが信長に地球儀を献上しているので、この説は疑問符が付きますよね。

日本人は古墳時代にはすでに高度な測量技術を持ち、地球が球体だということを知っていたようです。古墳の形はピラミッドよりも複雑で、測量技術がなければ形が歪まないように築くことは不可能でしょう。その知識をもたらしたのは、渡来民族の秦氏のなかでも、古代北イスラエル王国の血を引く人々だったようです。彼等は奈良や京都の沼地を干拓して農地や都を造成していきました。平安京が秦氏が築いた都だということは、日本書紀でも言及されていますよね。土木の専門家が揃っていたのです。モーゼが出エジプトしてからイスラエルを建国し、その滅亡に伴ってシルクロードに逃れて、交易を仕切っていた人々の一部が、中国や日本まで到達しているのです。秦氏のなかには、万里の長城の苦役に耐えかねて逃げ出して、朝鮮半島に移住してきて辰韓(秦韓/後の新羅)を建国し、そこから日本に渡来した人々も含まれています。つまり、ピラミッドや万里の長城の建設に携わった人々の末裔が日本までやって来た結果、巨大な古墳が造れるようになったらしいのです。うちの社家の神庫に、当時の測量術や計算方法を記した算額が奉納されています。また、天体の運行を観察できるカラクリで、渾天儀と呼ばれるものも残っています。中国では、紀元前二世紀頃から使われていたようですね。今はもう錆びて動きませんが、かなり使いこまれた痕跡があるので、陰陽道にハマった御先祖様がいたものと思われます。神庫をよく探せば渾天儀を使った方の日記が見つかるかもしれません。

地球が丸いことはピタゴラスが推論していたし、アリストテレスは月食のときに月面に映った地球の影が円いことに気付いたようです。エラトステネスは紀元前220年頃、アレクサンドリアとアスワン)の距離と緯度差から、地球の円周を4万6000kmと計算しています。当然、エジプトではこのとき一緯度長も判っていたことになりますね。知識を持つ人々がいつ日本に辿り着いたかまでは私にも分かりませんが、エジプトからも幾つかの文化が日本に流入しています。

たとえば、日本の神道の太陽信仰は、エジプトと起源を同じくします。日本は中国大陸の人々が空想した扶桑という神木が生える国とされてきました。朝日が木の中に見える状態を『東』、日が木より高い位置にあるのを見て『杲』、日が木の下にある場合を『杳』と漢字で表現しました。この木は扶桑を指しています。日本では銅鐸や土器に、朝・昼・夕それぞれの太陽を『\』『○』『/』と表現して刻み付けています。エジプトでも日本でも中国大陸でも、朝・昼・夕それぞれの太陽を別々のものとして認識し、信仰の対象としていたのです。宗像や宇佐の三女神に、その痕跡を見ることが出来ます。ペルシャやエジプトには有翼日輪と呼ばれる太陽信仰のシンボルが飾られていますが、日本にもじつは伝わっています。お正月の注連飾りがそれです。これが一般に普及しているもの。https://picasaweb.google.com/lh/photo/P_lUqinmxMV1L9K_emPLlNMTjNZET...そしてこちらが、日本の国旗の原型とされる明姫(アカルヒメ)の御神体の赤い瑪瑙の珠を中心に構成された護符です。https://picasaweb.google.com/lh/photo/MNXrQeIx7LpkQDKtYbFBKNMTjNZET...偽物を作られないように、一般公開や写真撮影を禁じているので、3DCGの画像しか紹介できませんけどね。

五芒星も、同様にしてシルクロードの西から伝わったもののようですが、ナスカの地上絵など比較にならないサイズのこんな巨大な図形を描くのは、日本人ぐらいのものでしょうね。日本人は外国の新しいものが好きでどんどん輸入しては独自に進化させる才能に昔から長けていた、ということの証左でしょう。


質問した人からのコメント2012/10/28 20:22:24

大五芒星のサイズの巨大な図形を描いたのは、日本人ぐらいのものだと思います。巨大な古墳を築くための測量術が、シルクロードの西から伝わったことは、ある程度想像がつきます。日本にどの程度のレベルで伝わって、独自の発達を遂げた結果、あのような巨大な図形になったのか、非常に興味があるので、また機会があればよろしくお願いします。

ありがとうございました。
posted by megamiyama at 13:05| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする